2009年1月5日月曜日

なんでダメなんだ?

 なんでちょっとした我慢ができないんだろう?理屈ではわかっているさ。ダメなんだよ、それやっちゃ。なのに結局やってしまう自分・・・・。

 もう生きていても辛いよ。なんでこんなことが我慢できないでコソコソ生きているんだろう・・・・?

2009年1月3日土曜日

衝動を持つ自分を受け入れる

 理屈ではわかっているんだけど、心ではわかっていない。ここに問題の根っ子があるんだよ。結構深い根っ子だな。自己破壊的な衝動というものを持っている自分。傍から見れば、というか普段の自分でも自分の行動はおかしいと思うもの。だけど衝動が突き出てくると視野が狭くなってその衝動に突き動かされてしまうんだよ。ダメだダメだと思っていても、矢も立てもたまらなくなって動いちゃうんだ。
 かなり深いところで壊れているんだよ。

 永遠なのか本当か、時の流れは続くのか
 いつまでたっても変わらないそんなものあるだろうか
 見てきたものや聞いたこと 今まで覚えたぜんぶ
 でたらめだったらおもしろい
 そんな気持ちわかるでしょう
 
 答えはずっと奥の方 心のずっと奥の方
 涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方

 なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
 なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう

 情熱の真っ赤なバラを 胸に咲かせよう
 花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方

2009年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます

 2009年の幕開けですが、世の中大不況(恐慌と言ってもいいくらいだが)で暗い話題が多いですね。
 年賀状が来ました。やはり例年に比べて減っています。仕方が無いけど職場関係のものがげっそりと減っていますから。けど中にはうれしいものもありました。

 どうにもならない自分の中にある衝動的に突き上げてくる「もの」はどうにもならんです。何なのでしょう?なんでこういう衝動が湧き上がるのでしょう?ほとんどというかやっぱり病気です。

 病気は治るものですがこの病気は治るものではなく「回復」しかないそうなので、今年もとにかく「回復」に努めて行きます。

 神様 私にお与えください
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
 変えられるものを変えていく勇気を
 そして二つのものを見分ける賢さを
 私の意思ではなく あなたの意思が行われますように。

2008年12月31日水曜日

2008年を振り返って

 今年はとんでもない年だった。干支が子の年男だってのにね。
 1月~2月はまぁなんとか仕事もできたしどうにかなっていたけど、2月の末辺りから軽躁状態に入ったんだろうな。なんだかブレーキが壊れた暴走列車になってしまった。
 3月~5月は躁状態でブンブンだった。あれこれ手をつけるんだけど脳みそがパニクってどうしようもない状態。正直自分で自分が嫌になったね。
 5月~6月でこの状態から脱して鬱に入ったのが7月。
 7月~だんだんと正常化していった。
 9月になってようやく自分の状態を把握できるようになり、11月に受け入れることができた。
 結局仕事を退職して今後の見通しも特に無い状態。困ったもんだ。

 だが良いこともあった。
 とにかく一番はAAに改めてつながり直せたこと。これは自分を見つめなおす上で第一のことだった。
 そしてAAの先行く仲間のおかげで通所施設に通わせていただけるようになったこと。ここでたくさんの「気づき」をいただけた。
 最後に職場を「手放す」ことで借金との取り組みに向き合うことができるようになったこと。

 新年にはこうした基礎の上に自分なりの今後の目標というものを見つけられるように願いたい。

2008年12月29日月曜日

退職金処理の確定

 やっと退職金が確定した。過去の積み立て分が加算され総額は80万ちょい。まぁそんなもんだろうな。これ以上ゴネゴネしてもどうしようもないし、「考え方」のものさしは彼ら健常者の判断の方が正しいだろうと思って合意した。

 過去積み立ての総額は本来は100万あるはずなんだけど、途中で自分に取り崩してきたお金が15万あるしそのほか、いろいろあったから、80万超という評価は妥当だよ。少なくとも持ち出しはなくなった。それだけでも満足しないといけない。

 社会保険料の個人負担分やすでにもらっている分を差引いても訳10万が共済分のほかに出るから手取りは65万。だけどそれでも助かるよ。これですっきりだな。

 退職金が確定して銀行口座の変更が終れば後はこれまで計画していた通りに処理していきましょう。
半分は自己破産の経費になるけどね。

2008年12月26日金曜日

正しい「ものさし」の使い方

 「ものさし」はものの長さを測る目盛りの付いた棒です。でも、AAではよく「自分のものさしで物事を計るな」と言われます。なぜならアルコール依存症の人間は酒の入ったグラスの底から物を見るので「現実」が歪んでぼやけてしまい、自分の勝手な思い込みで決め付けてしまうからなのです。大切なのは自分の身に起きてきた事実を事実として受け止めて、自分の思い込みの特徴=弱点をつかみ、自分の勝手な思い込みの世界から脱出していくようにしなければなりません。
 この「アルコール依存症者のものさし」は自分に都合のいいことには小さな目盛りがいっぱい付いていて、自分に都合の悪いことには大きな目盛りがまばらに付いています。そしてさらにものさし自体も曲がっていて本人はまっすぐ当てているつもりでも実際には歪んでしまっていることもあるのです。特に自分に都合の悪いことについてはものさしが触れないようにちょこっと当てて、大きな目盛りで「こんな程度だよ」と自己正当化するのです。そして自分に都合のいいことについてはこれ見よがしにど~んと小さい目盛りで「こんなにやったんだぜ」と自慢するのです。
 高慢で自己中、それがアルコール依存症者の特徴です。高慢だから反抗的です。他人から「こうしろ、ああしなさい」と言われるのには我慢ができません、でも自分は他人に「こうしろ、ああしなさい」と言うのは大好きです。おだてられれば木に登るし、自分が世界で一番偉いなんて思い込むのです。
 酒を止めても考え方が自動的に変わるものではないのです。一時変わってもすぐに元に戻るし、そうなると以前よりもっと酷くなるのです。
 持続的に自分の生き方、考え方を変えていく訓練が必要です。でもそれは健常者の教育では不可能なのです。同じ病気の者たちが、互いに自分のことだけを話す。自分で自分を語る。仲間が話すのを聞く。その繰り返しの中で、「あいつ狂ってるなぁ、そんなことあり得ないじゃない」と思いながら、時々自分も同じようなことをしていたことを思い出し自分に「気づき」というものをもらうのです。
 同じように自分が語る自分の話から他の仲間が得られることもあるのです。だから「与えるから受けとる」のです。この場所がミーティングです。自分の目盛りの確認場所なのです。自分では健常者になったようなつもりでいる仲間もいますが、そういう仲間が正直な話をすると案外結構狂っていたりするのです。この病気は完治はしません、いつでも死と向かい合っているんです。

 飲まないで生きるか、飲んで死ぬか だから飲まない今日一日のためにミーティングに行くのです。

2008年12月23日火曜日

後ろを向いて歩いていると電信柱にぶつかるよ

 そうなんだよ。後ろを向いてああだったのこうだったの、あれがいけなかった、これがいけなかったと愚痴ってばかりいると考え方が全部後ろ向きになってしまう。
 自分のこれからの先を考えていかないと。前向き前向き私のAAスポンサーもいつも口癖のように言う「前向きに生きなよ」って。そう過去は変えられないけど未来は変えられる。受け入れること、変えていく勇気。大事なことはここにある。

 最近見たDVD
 「三丁目の夕日」 高度経済成長の中の町工場の社長や戦争の痛手を背負いながら生きている医師、親に捨てられた子ども、親の入院費用のためにストリッパーに身を売った若い女性。すべて私たちの父母が通ってきた道だった。今では考えられないほど貧しかったけど、みんな「未来」を信じていた。未来を信じられない社会は病んでいる。

 「フラガール」 常磐炭鉱の相次ぐ事故、閉鎖の危機とそれによる失業への不安の中、炭鉱の町常磐を炭鉱の温泉で盛り上げようとフラダンスを売り物にした施設の立ち上げに奔走する若い女性たち。そしてそれに励まされて共に力をあわせていく男たち。どんな苦境の中でも未来を自分たちの手で切り開いていこうという勇気は一人の力でできるものではない。

 「怒りのぶどう」 スタインベックの小説の映画化だけど、ヘンリーフォンダはでくの坊みたいだけど、アメリカでも今の日本の非正規労働者の解雇と同じことが起きていた時代があった。叩かれても叩かれても立ち上がっていく農民たち。決して明るい未来が保障されているわけではないけれど、働くこと、生きることに必死に立ち向かうのが人間の本来の姿なんだと信じる気持ちにさせる。

 私はどうなのか・・・?自分の不始末で作った借金で汲々として自分勝手に苦しいと言っているだけじゃないか。退職金もくれるだけましじゃないか。これから自分で稼いで行けばいいんだ。働いて、仲間の中にいれば喜びもある。今、ここにある幸せ。それを大事にできないで何を大事にできるのか?

 もう後ろを向いて歩くのはよそう。過去の経験は未来に生かすためにある。自分の経験は新しい仲間たちに教訓になる。仕事でも同じだろう。明日に向かって歩いていこう。