2009年7月26日日曜日

飲んでいた頃

 2002年9月3日が自分にとっては大きな転機だった。精神科で医師から「あなたはアルコール依存症です、これからは一切お酒を飲むことができません」と宣告された。自分は「この医者はキチガイだ、俺がアル中のはずないだろう、朝酒は飲まないし昼間も飲まない、確かに夜8時以降はたらふく飲むけど自分の金で飲んでいるんだし高い店で飲むわけでもなく路上で飲むわけでもなく、自宅で飲んでいるだけなのに・・・」全然認められなかった。
 医師は戦法を変えた「奥さん、この人ダメだね、全然認めてないもん。この人はねぇ酒を止められなくて最後はゴミみたいになって死んでいくんだよ、あなたやお子さんがそれに巻き込まれることはないからね、離婚しなさい」
 俺、呆然。当時は妻との間は冷え切っていて家庭内別居だったし、具体的な離婚の話も進み始めていたにも関わらず、医師から言われたとたん妻や息子との生活がいとおしくなった。
 その間一分ほどだったのか、5分だったのかは覚えていない・・・が、私はころっと変わった。(そこまで言うなら酒を止めて見せようじゃないか、止めてみせる)「わかりました断酒します」奥歯をかみ締めながらの決断だった。その後の手際は実に早かった、私の気分が変わらないうちに脳のCTを撮り、脳の萎縮の兆候があることを示し、入院を勧めた。でも自分は当時職場の移転問題を抱えていて休職する気には到底なれなかったので「通院」を要求した。その代わり2週間日曜日以外は毎日病院に行って点滴を受け、血液検査を受けるという条件だった。そしてその指示に従って自力の断酒を始めた。

 酒を止めてみると、その方がいろんなことが楽になるということを知った。酒を飲んでいる頃の自分は毎晩飲み始める時には「飲み過ぎないように気をつけよう」と思うのだが、飲み始めてしまうと止まらなくなる。ほどほどにほろ酔いというのはありえない状態で飲むうちに目がさえてきてブラックアウトするまで飲み続けてしまう。ブラックアウトするまで飲まないと飲んだ気がしないのだ。それでいて翌日の仕事のことは気にしていて、寝坊しないように、二日酔いは嫌だなと思っている。でも毎朝朝寝坊と二日酔いの苦しみを味わっていた。寝汗、おしっこ、タール便の垂れ流し、ブラックアウト後のことは一切覚えていなくて家族の様子を伺って変な事件を起こしていないかびくびくしている。それなら飲まなければいいと思うのだろうが、酒につかまってしまった人間は朝は「もう飲むまい」と思っていても夕方には「今夜は何を飲もうか」ということしか考えられなくなっている。自分は不眠が酷くてそれが深酒の理由だったが結局向精神薬や睡眠導入剤を処方されながら酒を一緒に飲んでいたからラリッテいたしブラックアウトも早くなっていった。こういう飲み方をする人間がアルコール依存症で、普通の人は飲みたい時は飲むし飲みたくない時は飲まない。コントロールできる。でも飲んでいた頃の自分にかろうじてできていたことは飲み過ぎないようにと切実に願いながら飲みすぎる自分に自己嫌悪を感じて自分の心を壊していくことだけだった。

 酒を止めて得られたもの 自分の心の落ち着き・家庭の平和・リラックスした楽しみ。

 せっかく酒を止めてもらったのにパチンコ依存にはまってまたもや「生きることがどうにもならなくなった」とは、自分のビョーキの根は相当深いんだなぁ。

 

2009年7月13日月曜日

去年の自分と今の自分・・・再

 去年の今頃自分は何をしていたのかな・・・と考えて去年の手帳を開いてみた。
 オオオオオオ・・・出たぁ。「自力」であがきまくっていた姿。妻には内緒でしたパチンコや買い物での借金を返そうと、買った物を購入価格の半額程度でオークションで売り飛ばして返済に充てる金額をひねり出していたのである。今から思えばなんと浅はかな自分であるか。スノーシュー・ノートPC・DVDなど自分がそれなりに大切にしていたものをいとも簡単に売り飛ばし、返済期日に間に合うようにひねくり出す・・・やっぱり「狂気」の一言。こんな精神状態じゃァ職場復帰なんてできっこないのに、「夏休みに向けて復帰プログラムを・・・」なんて焦っていた。これも職場復帰して給料もらえるようになればより返済が滞りなくできるだろうという自分の都合だけでの考え。自分の置かれている状況や現実を理解しなさ過ぎ。自分で自分の状態をわかっていないのに、他人に自分を理解してくれなんて求めること自体無理。ほんとに情けないね。
 だけど一年後に今の自分のようになっているなんて思ってなかったからね。いろんな自分の都合を捨て去っていくと執着から離れて客観的で冷静な判断が戻ってくる。こんな風になれるとは思ってなかったよ。12STEPの威力すごい。一度離れて自分が壊れていったのを体験できたから、このプログラムの持つ力を心の底から思い知ることができたんだな。
 自分の運命だったんだよこれが。そしてこれからもね。

 ところで数日前に一人の「仲間」が亡くなった。ある仲間が自宅に訪ねていったらワンカップの空瓶の転がる中でミイラになっていたそうだ。去年半年ほど同じ通所施設に通っていたのに、やけを起こして自主退所してしまった仲間だ。彼が抱えていた内面の恨みや怒りはすごかった。それらと向き合う力が育つ前に負けてしまったんだろう。「この病気は死ぬんだよ」何度も繰り返されているのだが、ちょっと酒が抜けると「もう大丈夫」と思い込んで離れて行き、そして酒につかまる。酒につかまったら死ぬ。運がよければ戻ってやり直すこともできるのだが、いつも運がいいとは限らない。死んだ仲間は明日の自分かもしれない。自分たちはそういう死と背中合わせにプログラムに取り組んで助け合う。エゴイズムという点では究極のエゴイズムだ。自分が酒を飲まないためには仲間が必要、プログラムが必要だからそれに従っている。結果としてそれが仲間にとっても必要な自分を育てていくというだけだ。甘い夢も幻想もない。仲間から離れプログラムに背を向けるのは簡単だがそれには酒が止まらなくて「死ぬ」という罰が待っている。怖いプログラムでもあるのが現実であり事実である。

2009年7月7日火曜日

誰でもよかった・・・幼稚なエゴイズム

 「無差別殺人」=特定の個人に対する殺意ではなく「誰でもいいから殺したかった」という殺人?中には「死刑になりたかった」という動機のものもある。自分が死にたいからといって、他人を巻き込むのはおかしいね。でも多分・・・だけど「誰でもよかった」っていう言葉の中にはいろんな意味があるんだと思うよ。去年の5月ごろの自分が、AAにつながって12STEP プログラムにつながっていないまま借金を重ねていたら、彼らと同じ心境になっていたかもしれない。「幸せそうに(勝手にそう見ているだけだけど)生きている人」がみんな疎ましくて、自分を疎外している者の塊のように感じられて、そんな奴らを殺しても自分も死刑になって死ぬんだから帳尻合ってるだろ・・・なんて発想。
 秋葉の事件もたぶん「秋葉にいて楽しそうにしている奴らを恐怖に陥れてびびらせてやる」みたいな裏返せば「俺の怖さを思い知らせてやるぞ」という幼稚なエゴイズムが根っ子のような気がするし、土浦の場合は「俺は死刑になって死にたいんだから何人殺してもいいんだ、殺せば殺すほど俺の死刑は重くなる」みたいな倒錯したヒロイズム(これも幼稚なエゴイズムの表象だが)だと思う。
 今回の大阪の事件も「俺はこんなに借金で苦しんでいてもう死ぬしかないところまで思いつめているんだから幸せそうにパチンコやってる奴らを何人か犠牲にしたってそれは自分を裁いてもらうための手段としてとても合理的な考えだ」という幼稚なエゴイズムによる行動だと思う。
 自分も去年の5月の自分のままでそのまま暴走していれば自殺するか蒸発するか無差別殺人かというところに進んでいたと思う。自分の場合はそうなる自分の怖さを感じたから自分の状況を変えていくためにAAに戻ることができ、12STEPプログラムで実際に状況が変化した。けれどこのプログラムを知らないで、自分の殻に閉じこもって自分中心の考えに囚われてしまえばああいう幼稚な自己完結的なエゴイズムという思考パターンの「合理性」を信じるようになっても不思議ではない。彼らも何らかの複合的な理由があって大人になれないまま成長してきてしまったのだろう。 そして決定的なまでに自己評価が低かったのだろう。自己評価があまりに低いと、他者に対する行為で自己の存在を確認しないと生きていくことが怖くなってしまう。「死刑になる」というのも彼らにとっては自分の行為を「社会が認めてくれた結果」だと勘違いをする。大いなる勘違いだが本人はまだ気づいていない。
 大人になれない・・大人になりたくない・・根っ子は一つだと思うがそういう自分を認め受け入れることができるのはまだまだ少数なんだね。
 

2009年7月6日月曜日

家族と自分自身の回復と

 今朝は次男が急性胃腸炎で中間施設を休むことになった。施設長からは先日も「家庭の役割りも大変だろうけど(実際大変なんだけどな)それを理由にサボっているところがあるんじゃないか」と言われてしまった。実際問題長男の学校卒業後の通所施設の研修とか体調不良、次男もまだ5歳で羽目をはずして体調不良になることもあるし、行くつもりでもどうにもならないことがママある。だから自分自身の回復はペースが遅い。仕方ないことだろう。こんなペースでは傷病給付や失業手当などの何らかの収入があるうちに再就職というのは無理かもしれないと不安がよぎる。
 けれど考え方を変えれば、前の職場にそのままいたら、今のように子どものために休んでいたら仕事にならなくて余計ストレスを溜めていただろう。むしろ今年という年に無職でいられたことは天から授かったチャンスだったんだろうな。自分が中間施設を休んでも収入は減らない。妻は仕事に安心して打ち込める。自分にとってもゆっくりとしたこの時間が必要だったんだと思う。

2009年6月27日土曜日

一年前の自分と今の自分

 これまでのブログを読み返して、一年間での自分の変化を感じ取ることができた。
 主にパチンコで作った借金をどう返済するかで右往左往していた自分
 自分で休職願いを出しながら、勝手に復職時期を夏休みと決めていた自分
 パチンコもとまらないままだった自分

 今は
 自己破産して免責決定を受け身軽になった自分
 退職してニュートラルになった自分
 パチンコも止まった自分

 一年間で問題の大半が片付いてしまった。これは奇跡!この12STEPプログラムのもたらした奇跡としか言いようがない。あんなに死にたかった自分が、今はよりよく、落ち着いて生きていきたいと願っている。すごいことだ。

 自分は2002年当時、妻とは家庭内別居で離婚もカウントダウンに入っていた。アルコールにつかまっていて、病院で解毒してもらって一人断酒を2ヶ月していたが、続かないような思いでAAにつながった。そして妻との関係は見事に修復され、結婚生活は明るくなり、おまけに次男まで授かった。
 2005年暮れごろからAAミーティングを離れ、「自力で大丈夫」とたかをくくり、それにパチンコのことを知られたくなかったのもあって、事業運営も危機を脱出する見込みが出てきたところで「有頂天」のピンクの雲に乗っかってパチンコ依存につかまってしまった。
 自分のポケットマネーでは足りなくなりカードローンで借りるようになり、あっという間に返済能力を超えていった。仕事のストレスからの逃避、パチンコ台の前だけが自分が安心していられる場所になっていた。給料のごまかしやローンが妻にばれるのを恐れて「ウソ」ばっかりの生活。職場にもウソ、家庭でもウソ、自分で自分の居場所をなくしていた。
 2007年11月 とうとう酒瓶が目に大きく映ってきた。一口飲んでしまった。自分でも「これについては嘘をつけない」という気持ちを持っていた。でもAAに戻るまでにはそれから半年の時間がかかってしまった。2008年5月 ギブアップして休職し、AAに戻った。そしてそれから一年。
 自分はようやく素面のスタートラインに立つことができた。

 AAから離れてスリップまで1年半だった。そしてそこからスタート地点までも1年半。時間というものを大切にしないとどうにもならない病気なんだ。

2009年6月19日金曜日

任せる

 再就職というものを考えていかないといけない時期にさしかかっているのかもしれないが、今はまだ何も考える気持ちになれない。MACのプログラムを信じて一日一日を過ごしていくつもり。

 自分の考えを締め出してしまおう。

2009年6月14日日曜日

自己破産しました

破産申し立てが受理され、無事?自己破産による免責が確定しました。

一年前には考えられなかった結末ですが、これで借金の問題からは解放されました。