2009年4月1日水曜日

母のこと

 先日母から連絡があり、アパートを引っ越すことになるからその時には「保証人」になってくれとのこと。機械的に「うん」と答えたが、なんかもやもやしていた。正直なところもう「保証人」はうんざりだ。兄のこともあるし自分の自己破産のこともある。だけど断ればまた根掘り葉掘り理由を聞かれる。

 母は心を霊的に病んでいる人だし恐らくADDじゃないかと思う。母の恨みの大本は自分の母親(私から見れば祖母)から引き離されて一人理髪師の徒弟にされたこと。終戦直後、満州からの引き上げ者で財産をすべて失い、父親も脳溢血でなくし(恐らくこの私から見れば祖父に当たる人もアルコール依存症だったのだろう)母たち四人の姉妹と末の弟を抱えて途方にくれたのだろう。母はこの兄弟の自助にあたる。長女は妹や弟の面倒を見る手伝いで家庭生活の戦力だったのだろう。そして妹たちはまだ幼かったり病弱だったりで外に出せなかった。こういう事情を知れば男勝りで気が強く元気いっぱいだった次女の母が「口減らし」と「手に職を持たせれば食いはぐれることもあるまい」という親心から家を出されたのは納得できることなのだが、母にとっては未だに納得できない屈辱だったようだ。
 祖母を一時実家で引き取って面倒を見ていたこともあったが、母はここぞとばかりに昔のことを引き合いに出して祖母を苦しめたらしい。結局祖母は長女のところで命を全うした。母にはこういうところがある。結構根深い執念深さがある。母親への仕打ちもそうだし、私の義理の姉たちやその母親に対する言い方も変わらない。「あんな変な女とくっついたのがパパの失敗だったのよ」この理屈はとにかくすべてに貫いている。兄が母から自立しようともがきながら結局自滅して行った根底にも「あんな変な女とくっついたから・・・」だった。母にかかっては母以外の女性はみんな「あんな変な女」になってしまう。
 それでいて自分自身はどうなのかといえば、片付けもろくにできない人だった。料理はできるけどそれ以外の家事はダメ。洗濯も干しはするけど畳むのはできなかったし、家の中はいつも何がどこにあるかわからない状態だった。他人の悪口陰口はたんまり言う。みんな「ケチ」か「見栄っ張り」ということになる。実は自分が一番の見栄っ張りなのに。姉夫婦が買ったつつましい建売住宅の近くの土地を購入してこれ見よがしに自己設計の家を建てたのは「あてつけ」としか言い様がない。それでいて姉たちを引き取ることになって「失敗した」と思ってもこりない。恩を売ることは押し付けがましい癖に自分は欲得ずくでないと何も他人に与えない。

 こんな母だから私が「自己破産」したと言えば今度は私の妻まで「変な女」にされかねない。もっとも不思議なことだが、今まで私が家に紹介した女性には「変な女」よばわりはしない。私の女性を見る目については一目置いているのかもしれない。

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