2009年3月31日火曜日

年度替わり

 明日から新年度。自分が休職したのは去年の5月だから私が抜けて初めての新年度ってことになる。まぁ、そんなことは今更どうでもいいんだ。保育園も異動があり担任が代わる。いい保育士に当たって欲しいな。

2009年3月27日金曜日

幸せでありたい

 今の自分は傷病給付金の収入で生活していてとても経済的には苦しい。しかも自己破産の手続きをしている最中というのに、なぜか幸福感を感じている。
 この家族に対する愛情はかつて経験したことがないほどのものだ。
 これからも幸せでありたい。

 飲まない・賭けない今日一日を。

2009年3月26日木曜日

墓参りと鉄道博物館

 先週の土曜日、お彼岸なので次男を連れて父の墓参りに行きついでに同じニューシャトル沿線にある「鉄道博物館に行ってきた。
 次男には墓参りに行くたびに、「パパのパパはなんで死んじゃったの」と聞かれる。その度に「お酒を飲みすぎて脳の血管が何度も切れて、最後は片足も切り落として死んじゃったんだよ」と答えている。事実そうなのだが、こうして言葉にしてみると壮絶だ。それにその父の晩年を支えていた母や兄のことも思いやる気持ちが出てくる。
 花を手向け、水をやり、手を合わせる。次男も小さな手のひらを合わせている。「こんなかわいい孫を見ないで死んじまって、バカな人生だと思わないか」心の中で父に話しかける。
 一個連隊3000人の中でわずか数名の生き残りの一人だったという幸運を持ちながら、酒で身を持ち崩した晩年。友人もなく家族だけしか残らなかったさびしい葬儀。
 
 それはともかく、鉄道博物館。11時についてすでに体験ゾーンは4時からの回しか空いていないという人気。親子ずればっかりなのはもちろんのこと、まずは早めの昼食を食べてしまってから場内を走るミニトレイン「はやて」に並ぶ。30分以上待ってようやく乗れたが、走行時間は3分、なんか割に合わない感じ。次男は3歳児以下対象のプレイスポットに行きたがったのでとりあえず行く。やっぱりすぐに飽きる。次はミュージアムショップ、ここに来ると目の色が変わる次男。いろんな電車のおもちゃに釘付け。向こうも商売だから仕方ないけどね、もうちょっと広くしてくれないとすれ違いもできないような混み方。そして次は鉄道ジオラマ。これは地下鉄博物館でも見ているのですぐにイメージが湧いて並ぶのも納得してくれた。新幹線、SL、ブルートレイン、通勤電車が走り回るのに釘付け。終ってから必ずすべての男子が観覧席からジオラマに走っていくが、我が家の次男君は「ガラス」に気づかず「ゴン」とはでな音を立てて激突。機関車や貴重な列車もあるけど、これについては立川の鉄道公園のほうが計器を直接見れるし展示としては良かったと思う。

 ここでもふっと頭をよぎった思い出。父も兄を連れて何度も当時秋葉原にあった鉄道博物館(交通公園)に行ったと聞いていた。私はあまり記憶がないが、まだ埼玉に引っ越す前のことだったのだろう。
 
 父が姉たちのことをもっと早くに母に相談していればまた違った家族になれたんだろうな。最初から無理なローンを組んで生活に困ることもなかったんだろう・・・。ホント行政手続きを甘く見ていたんだよな、父は。それに母が見栄っ張りでなければ計画を変更できたんだよな。

 次男よ、君には楽しい家族の記憶をたくさん残してあげるからね。

2009年3月17日火曜日

生きづらさの原点

 自分の依存症気質の原点が良く理解できたような本に出会った。ギャンブル依存症の施設の冊子なのだが、とてもよくわかる。

 普通の人はまず「私」の周囲に親・兄弟など家族というクッションがあり、そのクッションでショックを和らげながら社会との関わり、友人や恋人、仕事関係の人間関係などに適応していくのだが、私のようなAC家庭に育った人は家族というクッションで和らげられることなく丸裸で社会と向き合っていくことになる。だからいろんなことがとても痛いし加減がわからない。

 自分の人生を振り返ってもうなずける。20代の頃の同棲相手との関係はとても普通じゃなかった。自分を傷つけながら相手を傷つけてボロボロの世界だった。「二人きり」の世界に思いっきりはまり込んでいた。そこに第三者の闖入を許したのも自分で、そのことで相手はとてもとても悲しみ傷ついた。今頃になってようやく何が彼女を一番傷つけたのかに気づいた自分・・・かなり重症だ。

 兄や母との関係で自分がぶれるのも同じ。母は私を庇護していたつもりかもしれないが、私にとっては余計なお世話でしかなかった。私に嫌われて母は兄を溺愛するようになったのだろう。同じ早稲田を目指しながら弟の私に先を越されて惨めだった兄、異母姉を憎み母を愛した兄、兄にとっては異母姉たちと同居する前の長男としてかわいがられていた時期が忘れられないし、本来ずっとそれが続くべきだったのを異母姉たちが壊したのだと恨んでいたのだろう。私とて早稲田を選んだのは父に気に入られたいから。父が早稲田出身で早稲田しか私立を許さなかったから。父が満足してくれたところで自分にとって入試の意味は終っていたのだろう。
 
 なんてひりひりとした「家庭」だったことだろう。耐え難かったことも事実。自分の実家の異常性から逃げたかったのも事実。逃げてきたのに兄の病気で関わらざるを得なくなり、自分の心や感情のペースが乱されてしまったのも事実。そしてパチンコ台の前で安心する自分を発見してきたのも事実。

 おかしいのはパチンコもやりたがるくせに大当たりが続くと急に不安になり家に帰らなくてはという気持ちが強く湧き出てくる自分。後ろめたいし妻にも子どもにも申し訳ないと感じている自分を見出す。
なんだかここまで来たらこの依存から抜け出すのも時間の問題だと思う。なんだか必要がなくなってきたと自分で感じるんだ。パチンコなんてやらなくたっていいし、それより子どもと遊ぶ計画や妻をいたわりたいと思っている。

 でも「金がほし~」ってのはあるけど、それはパチンコとかギャンブルじゃ手に入らないものだからね。
 

2009年3月7日土曜日

100点満点の一日?

 今日は自己評価100点満点の一日だった・・・と思う。
 朝、長男の介助→次男と遊びながら布団を干して部屋の掃除
 午前、次男と図書館へ行きお目当ての本を借り→折り紙の本を買いに行き→折り紙を買った
 昼、次男が大好きなザル蕎麦を作り、食べ→一緒に折り紙
 午後、布団を取り込み、防ダニ対策をして→シーツ・掛け布団カバーをかけ→夕飯の買い物へ
 夕飯の買い物ついでにおやつのアイスクリームを買って公園で一緒に食べ→そのまま公園で遊ぶ
 保育園に行ってシーツ・掛け布団カバーをかけてきて→帰宅後は夕食作り
 3チャンネルでピタゴラスイッチを見せながらおかずを三品作り、ちょっと早めに夕食。
 ミーティングに行って帰ってきたら次男が待ち構えていてくれた。

 う~んこれを『幸福』と言うのだろうな。

2009年3月4日水曜日

片が付いた

 自己破産の手続きは完了。長男の子ども保険の名義変更も間に合って、ホッと一息。破産しちまえばもう失うものもないでしょう。それにしても俺の経済感覚って壊れているよなぁ。なんだかこの点に関しては5・6歳並なんじゃないか?
 あ~金欲しい。とにかく遊ぶ金がほし~あぶく銭がほし~・・・・生活保護並みのお小遣いだからねぇ、それでももらえるだけましだと考えないといけないんだよ。でも手元に10万円ぐらいほし~よ~

2009年3月2日月曜日

ちょっと危ない時期?

 AAミーティングも中間施設も長男の病気や家族スキーなどで行けない日が続き、ちょっと危ない精神状態。またまた過去の亡霊に囚われそうな恐れと、一方で家族旅行で楽しかった分調子に乗ってしまっている「有頂天」という誘惑。こういうのがあまりよろしくない。毎日平凡で変化がないことが一番なのにどうも「変化」に弱いから「変化」があると妄想が出てくる。やっぱり地道な仕事を選びたいよ。地道でこつこつやっていくことが楽しめるような人間になりたい・・・って50になろうとしている男の言うことか?