2008年12月31日水曜日

2008年を振り返って

 今年はとんでもない年だった。干支が子の年男だってのにね。
 1月~2月はまぁなんとか仕事もできたしどうにかなっていたけど、2月の末辺りから軽躁状態に入ったんだろうな。なんだかブレーキが壊れた暴走列車になってしまった。
 3月~5月は躁状態でブンブンだった。あれこれ手をつけるんだけど脳みそがパニクってどうしようもない状態。正直自分で自分が嫌になったね。
 5月~6月でこの状態から脱して鬱に入ったのが7月。
 7月~だんだんと正常化していった。
 9月になってようやく自分の状態を把握できるようになり、11月に受け入れることができた。
 結局仕事を退職して今後の見通しも特に無い状態。困ったもんだ。

 だが良いこともあった。
 とにかく一番はAAに改めてつながり直せたこと。これは自分を見つめなおす上で第一のことだった。
 そしてAAの先行く仲間のおかげで通所施設に通わせていただけるようになったこと。ここでたくさんの「気づき」をいただけた。
 最後に職場を「手放す」ことで借金との取り組みに向き合うことができるようになったこと。

 新年にはこうした基礎の上に自分なりの今後の目標というものを見つけられるように願いたい。

2008年12月29日月曜日

退職金処理の確定

 やっと退職金が確定した。過去の積み立て分が加算され総額は80万ちょい。まぁそんなもんだろうな。これ以上ゴネゴネしてもどうしようもないし、「考え方」のものさしは彼ら健常者の判断の方が正しいだろうと思って合意した。

 過去積み立ての総額は本来は100万あるはずなんだけど、途中で自分に取り崩してきたお金が15万あるしそのほか、いろいろあったから、80万超という評価は妥当だよ。少なくとも持ち出しはなくなった。それだけでも満足しないといけない。

 社会保険料の個人負担分やすでにもらっている分を差引いても訳10万が共済分のほかに出るから手取りは65万。だけどそれでも助かるよ。これですっきりだな。

 退職金が確定して銀行口座の変更が終れば後はこれまで計画していた通りに処理していきましょう。
半分は自己破産の経費になるけどね。

2008年12月26日金曜日

正しい「ものさし」の使い方

 「ものさし」はものの長さを測る目盛りの付いた棒です。でも、AAではよく「自分のものさしで物事を計るな」と言われます。なぜならアルコール依存症の人間は酒の入ったグラスの底から物を見るので「現実」が歪んでぼやけてしまい、自分の勝手な思い込みで決め付けてしまうからなのです。大切なのは自分の身に起きてきた事実を事実として受け止めて、自分の思い込みの特徴=弱点をつかみ、自分の勝手な思い込みの世界から脱出していくようにしなければなりません。
 この「アルコール依存症者のものさし」は自分に都合のいいことには小さな目盛りがいっぱい付いていて、自分に都合の悪いことには大きな目盛りがまばらに付いています。そしてさらにものさし自体も曲がっていて本人はまっすぐ当てているつもりでも実際には歪んでしまっていることもあるのです。特に自分に都合の悪いことについてはものさしが触れないようにちょこっと当てて、大きな目盛りで「こんな程度だよ」と自己正当化するのです。そして自分に都合のいいことについてはこれ見よがしにど~んと小さい目盛りで「こんなにやったんだぜ」と自慢するのです。
 高慢で自己中、それがアルコール依存症者の特徴です。高慢だから反抗的です。他人から「こうしろ、ああしなさい」と言われるのには我慢ができません、でも自分は他人に「こうしろ、ああしなさい」と言うのは大好きです。おだてられれば木に登るし、自分が世界で一番偉いなんて思い込むのです。
 酒を止めても考え方が自動的に変わるものではないのです。一時変わってもすぐに元に戻るし、そうなると以前よりもっと酷くなるのです。
 持続的に自分の生き方、考え方を変えていく訓練が必要です。でもそれは健常者の教育では不可能なのです。同じ病気の者たちが、互いに自分のことだけを話す。自分で自分を語る。仲間が話すのを聞く。その繰り返しの中で、「あいつ狂ってるなぁ、そんなことあり得ないじゃない」と思いながら、時々自分も同じようなことをしていたことを思い出し自分に「気づき」というものをもらうのです。
 同じように自分が語る自分の話から他の仲間が得られることもあるのです。だから「与えるから受けとる」のです。この場所がミーティングです。自分の目盛りの確認場所なのです。自分では健常者になったようなつもりでいる仲間もいますが、そういう仲間が正直な話をすると案外結構狂っていたりするのです。この病気は完治はしません、いつでも死と向かい合っているんです。

 飲まないで生きるか、飲んで死ぬか だから飲まない今日一日のためにミーティングに行くのです。

2008年12月23日火曜日

後ろを向いて歩いていると電信柱にぶつかるよ

 そうなんだよ。後ろを向いてああだったのこうだったの、あれがいけなかった、これがいけなかったと愚痴ってばかりいると考え方が全部後ろ向きになってしまう。
 自分のこれからの先を考えていかないと。前向き前向き私のAAスポンサーもいつも口癖のように言う「前向きに生きなよ」って。そう過去は変えられないけど未来は変えられる。受け入れること、変えていく勇気。大事なことはここにある。

 最近見たDVD
 「三丁目の夕日」 高度経済成長の中の町工場の社長や戦争の痛手を背負いながら生きている医師、親に捨てられた子ども、親の入院費用のためにストリッパーに身を売った若い女性。すべて私たちの父母が通ってきた道だった。今では考えられないほど貧しかったけど、みんな「未来」を信じていた。未来を信じられない社会は病んでいる。

 「フラガール」 常磐炭鉱の相次ぐ事故、閉鎖の危機とそれによる失業への不安の中、炭鉱の町常磐を炭鉱の温泉で盛り上げようとフラダンスを売り物にした施設の立ち上げに奔走する若い女性たち。そしてそれに励まされて共に力をあわせていく男たち。どんな苦境の中でも未来を自分たちの手で切り開いていこうという勇気は一人の力でできるものではない。

 「怒りのぶどう」 スタインベックの小説の映画化だけど、ヘンリーフォンダはでくの坊みたいだけど、アメリカでも今の日本の非正規労働者の解雇と同じことが起きていた時代があった。叩かれても叩かれても立ち上がっていく農民たち。決して明るい未来が保障されているわけではないけれど、働くこと、生きることに必死に立ち向かうのが人間の本来の姿なんだと信じる気持ちにさせる。

 私はどうなのか・・・?自分の不始末で作った借金で汲々として自分勝手に苦しいと言っているだけじゃないか。退職金もくれるだけましじゃないか。これから自分で稼いで行けばいいんだ。働いて、仲間の中にいれば喜びもある。今、ここにある幸せ。それを大事にできないで何を大事にできるのか?

 もう後ろを向いて歩くのはよそう。過去の経験は未来に生かすためにある。自分の経験は新しい仲間たちに教訓になる。仕事でも同じだろう。明日に向かって歩いていこう。

2008年12月22日月曜日

退職金・・・

 なぜかまだ不確定な退職金。20年働いてきて54万だけ・・・ってふざけるな!って気分になっちゃいけないのかな?せめて100万は欲しいよ。

 その上社会保険料の個人負担分も支払ってください・・・あ~なんかもうやってらんねぇよ。

 単純計算で月々5000円ずつ積み立てたとしても120万は確定でしょう?

 まぁ俺の働き方に問題があったからこういう形での退職になったんだけどさ。
 それにしたってやっぱり少なすぎるよ。

 今勤務している連中は10年働けば60万の退職金が保証されるように設定したんだよ。

 そりゃあね、無事これ名馬ってことわざもあるから、俺みたいに緊急時にはチョーハイテンションで走るけど、平時にはモチベーションが下がりきってダメダメっていう馬じゃ困るんだけどさ。

 けれど54万だけ・・・って・・・

2008年12月19日金曜日

嵐の後

 心の中の嵐がようやく収まった。嵐の代価は10万円。自分を壊したい衝動を抑えるために(はたしてこれが正しい収め方とも思えないのだが)要した無駄金。どぶに捨てたようなものなのだが、でも結果として自分の内面の衝動は自分では抑制できないという事実を目の当たりにする経験をして、自分の無力を改めて思い知った。
 退職とか様々なプレッシャーに見舞われたときに訪れてくるこの衝動。もちろんこんな衝動が起きないような心の強さが欲しいのだが、今はまだそこまで到達できていない。次はこの10万円をどこから捻出していくかということが新たなプレッシャーとなってくるんだろう。悪循環だ。馬鹿げているし自分で自分が嫌になる。全部壊すか、いや、それもできない。だから中途半端ではどこにも行けないんだ。徹底的にやらないとね。自分の弱さの根源をたどっていかないと。
 たぶん、それは自分で自分の居場所をなくしていく生き方を求めてしまう本能的なものなのだと思う。自分の成育歴から思うに、「居場所が無い」という状態が自分の幼少期の姿なんだろう。でも居場所が無いことには人は耐えられない。だから「居場所が無い」から「居場所を作る」という方向に自分の思考を変えていかなければいけないんだと思う。「居場所がある」ということはそこに生じる責任を引き受けていくという覚悟が必要だし、「どんなことがあってもここだけは守る」という気概が必要なんだ。自分に欠けているのはこの「覚悟」と「気概」だと思う。そういう強さが欲しいと心から願っている。

2008年12月16日火曜日

ピキピキピキ

 このところ脳みそ、精神、心の深いところにひびが入ってきている。ピキピキピキと音を立てている。
 もうダメかもしれない。入院してオーバーホールをしたい。どうにもならない衝動に襲われてしまう自分。理性なんかなんの役にも立たない。本音、本性、本能が肥大化してむき出しになってきていることをひしひしと感じている。

 妙にハイな気分。壊れちゃえ。

2008年12月14日日曜日

無理な仕事だった

 退職の日を一日憂鬱に過ごした。特に連絡もなかったので予定通り処理されたのだと思う。

 思えば無理のし通しだった。
 学童クラブの移転問題から始まり、父母と指導員の共同運営から理事会による運営に移行するまでの体制作りを整えるまでに5年がかかった。その間障害児施設の移転があった。そして職員の休職によって精神的負担は増えていった。二つの性格の異なる施設の所長を兼任し、指導員としての責務も兼任し、労務管理、対行政手続の作成及び提出責任者を兼任し、様々な対外的活動での職場代表も兼任し、NPO法人の管理運営実務も兼任していた。
 
 普通の人でも精神を病むような責任だったろう・・・でも普通の人はこんな無茶な兼任は絶対しないだろう。できなくて当たり前なのだから。

 私は壊れた。かなり深いところまで壊れてしまった。この壊れた心は回復できるのだろうか?
 この点も疑問符だらけだ。自分はもう元に戻れないんじゃないかと思う。

 破壊したのが食堂の家具だったにせよ自分の精神であったにせよ・・・自分の精神が健全だとはとても主張できない・・・。その通り。私は狂気の中にいた。今もまだ狂気は健在なのだ。

 

2008年12月12日金曜日

いよいよです

 明日が退職日、そして15日に諸手続きをすることになっています。
 やはり気持ちが落ち着きません。
 自分の選択が正しかったのか、やはり最後までじたばたすべきだったのか、わかりません。
 いつかわかるのでしょうか?
 私は何のために20年を過ごしてきたのでしょうか?
疑問符がいっぱいです。
 でも今の自分にはあのハードな仕事は無理だということはわかっています。
 そうなんです。無理をし続けた最後の5年間だったのです。

2008年12月5日金曜日

師走でおわす

 いやはや、なんて忙しいんだ。家事や回復施設通所の他にやらなきゃならないことがいっぱいありすぎ。それもタイミングが全部ちょうどキリが悪い。自立支援申請をした直後に健康保険が変わる。これもまた要手続き。離職票についてはこれまた預金口座がなくなったらどうするんだ?
 資格取得の活動もしなきゃならんな。退職金の受領もあるし、なんだかすっごい忙しい年の瀬だよ。

2008年12月2日火曜日

疲労感・徒労感・倦怠感

 疲れている。何に?とにかくいろんなことに・・・・。
 たぶん、一つは退職という事実が迫ってきているということで不安になり、神経質になっていること。
 それに、健康保険証の切り替えなど行政手続がいろいろあることへの疲弊感。
 退職金がすずめの涙ほどしか出ないだろうし、自己破産の資金にしかならないという事実への徒労感。20年かけてお前は何をやってきたんだ?という徒労感。
 ハローワークに離職票を持っていっていろいろやらなきゃならないということもうんざり。
 しかも、こうした現実を素面で冷静に受け止めていかなければならないという自己抑制。こういうときはもっと大騒ぎしてもいいんじゃないか?とも思うのだが、それも大人気ないしなぁ・・・。
 
 たぶん一番楽なのは、自分で自分を消しちゃうことだと思うんだけど、次男の寝顔を見ると、彼の心に傷をつけたくないんだ。よくなりたい自分、消えてしまいたい自分、二つの自分がせめぎあっている。こういうのを統合失調って言うのだろうか???