2009年11月26日木曜日

君の笑顔

 かわいいよ、君の笑顔
 へそが曲がると大暴れでも、やっぱり君の笑顔はまぶしいよ。
 すてきだよ、君の遊び
 時々歯止めがなくなっちゃうけど、やっぱり好きだよ君と遊ぶの。
 
 君が生まれてくる前のこと、いつかきちんと話さなくちゃね。
 パパが今のパパみたいじゃなかった頃のこと。

 パパは毎晩お酒を飲んで気絶するまで飲まないと眠れなくなってしまっていた。
 君が生まれてくる3年前のパパはママともいつもケンカしていた。いつもパパが
悪かったんだ。
 君のにぃにが小学生の頃、パパは入学式にも二日酔いで遅刻してたし、運動会は
一 番の苦手。まともに一日いたことなんてなかった。

 君が生まれる1年と半年ほど前に、パパはお酒を飲まなくなったんだ。「アルコール
依存症」っていう病気でもうこれから先は一切お酒を飲むことができないことになっ
たんだよ。
 でもね、この病気はとてもやっかいな病気で「治る」ってことがないんだ。治らないけ
どまぁまぁ普通の人並み、あるいはそれよりちょっとできないことが多いかもしれない
程度には「回復」できるんだ。それには同じ病気の仲間たちの輪の中に入ってミーテ
ィングに参加することが大事なことなんだよ。
 だから水曜日・木曜日・土曜日の夜はミーティングに行ってるんだよ。
 
 にぃにには悪いことをした。遊んであげてなかったもんなぁ。介助もプールやお風呂
もママ任せにしてごまかしていた。

 大事なことだけどね、君にもパパの血が流れているんだよ。わがままなところや切れ
やすいところはパパにそっくり。だから君もお酒を飲めばパパと同じ病気になるかもし
れない。
パパのパパも同じ病気だったし、パパのお兄さんも同じ病気だったんだから、君もな
る可能性がかなり高いよ。

 あと15年たって、君が成人する時、それまでパパが元気でいれば、パパはコーヒーで
君はビールで乾杯してみようか。でも同じ病気にはなって欲しくないから、お酒について
はうるさく言うかもしれない。「うるせぇなぁ」と思うだろうけど、きちんと聞いて欲しいんだ。
 そうでないと君までアルコール依存症になって君のお嫁さんや子どもたち(パパの孫)
が悲しむことになるんだから。

 にぃにの笑顔、君の笑顔、ママの笑顔がいっぱいあふれる家族で暮らして行こうね。

2009年11月22日日曜日

自分はどうなりたいのか?

 傷病給付金も終了して「失業者」になった。とりあえず失業手当が不利にならないように「異議申し立て」をして、次に一月からの職業訓練校への入校を申請した。ホームヘルパー二級が2万円で取得できるのだから申請しない手はない。三ヶ月間という期間も魅力だ。でも大体三倍くらいの競争率だそうなので入校できるかどうかわからない。次の失業認定日までの就職活動としては要件を満たしているので大丈夫だが、失業保険がいつ入るかわからない状態ではあまりのんびりもできない。まずは足慣らしに一日3時間から4時間程度の短時間アルバイトを探そうと思う。働かないと生きていけない。働かないと生きている意味がない。

2009年11月11日水曜日

相変わらずのおばかです

 なんで?今更パチンコしなきゃならないの・・・・。二円パチンコで6千円突っ込んで一回もまともな当たり目も来ないってのはどうなの?ダメって、勝てないってわかっているのになぜやるの?
突然に襲ってくる衝動ってなんであるわけ?わけわかんないよ。

2009年11月6日金曜日

新型ではなかったようだが・・・

 長男は二回インフルエンザの反応を調べたが結果は白。次男のおなかは相変わらずよくならないが熱はさほど上がらない。二人とも新型ではなかったようだが、振り回されているこっちも鼻はグズグズだし頭痛はするし、今一体調がよくない。疲れているのかね?

2009年11月4日水曜日

次男も・・・

 月曜日はフルミーティングできたけど、今日は長男がまだ回復せず休み、夕方保育園から帰ってきた次男もまさかの8度2分・・・どうも長男も次男も新型のようです。とほほ

2009年11月1日日曜日

終了式とインフルエンザ

 通所施設から無事「終了」の「お墨付き」をいただいた。うれしいけど、複雑。
 一方今大流行の新型インフルエンザ、次男の保育園が先週「登園自粛」だった。友人の子どもと二人を4日保育した。疲れたよぉ。そして長男が現在進行形で風邪。インフルエンザは陰性反応なのだがはたしてどうなることやら。
 明日は保育園に次男を預けてしばらくぶりのフルミーティングできるかな?

2009年10月29日木曜日

終了式前夜

 明日で通所施設は終了となる。その後も通所して構わないのだが、やっぱり不安もある。
自分はいろんな場面でイレギュラーな立場だった。今までやってきた仕事もイレギュラーの塊だったし今回の通所も終了もイレギュラーだ。アル中としてさえイレギュラーだからなんだか社会の中でこれからどう生きていけばいいのかわからなくなる。スリーミーティングも2・3周りもしていない。なんだか見放されてしまった気分もある。もう一度今度は家庭をなくしてどん底を味あわなければならないのかもしれないと思うと胸が苦しくなる。こんなんでいいのか?ホントにいいのか?

2009年10月19日月曜日

通所施設終了

 いよいよ今月で通所施設を終了となる。もちろんアフターケアはあるのだが、やはりこれからは自分で就職活動に直面していかなければならない。あ~あどうなることやら・・・
 とても高齢者施設で働いていく自信もないしなぁ・・・。

 生きにくい時代だなぁ・・・と嘆いていてもはじまらない。とにかく何も考えないで働ける場所を見つけたいよ。

2009年10月7日水曜日

壊れているなぁ・・・ぢぶん

 苦しい時はもがきあがきプログラムという綱にすがりつくのに、ちょっと順調(だとぢぶんで思っているだけなんだけど)だとすぐにコロッと気持ちが大きくなって「何でも来い!!」って肩で風切るぢぶん。
 嫌だなぁ、変えたいなぁ。こういうぢぶんの無責任さ、見通しの悪さ、大嫌い。

 「変えたいなぁ」と心で願っても現実は変わらない。信じるということこの12STEPのプログラムを信じて行動すること。認めたら、認めさせてくれたプログラムを信じる、信じるなら行動で示す。最初の3STEPはやっぱりワンセットなんだね。
 ギャンブル依存だって認めているんだからプログラムを信じて行動をしていかないとダメジャン。月に一回くらいパチンコやっても・・・なんて甘えたことを言ってるんじゃ変えられないよ。
 ミーティングに出なさい。行動しなさい。・・・・ハイ

2009年9月7日月曜日

今後の目標

いよいよSTEP4・5の提案
そして就職活動に入ります。

どうなることか、来月の今頃の自分、どうしているんだろう?

2009年9月6日日曜日

厳しい

 中身が変わっていないんだ・・・と言われた。その通りだと思う。
 不安がいっぱい。だから信じるしかない。

 自分の考えを使わないで提案に沿ってやっていくこと。

 壊したものを片付けないと新しいものはできない。

2009年8月18日火曜日

中間施設の終了に向けて

 一年2ヶ月の通所を経て、中間施設の終了に向けた提案が出てきた。まずは妻も含めた三人の面談。そして就職に向けた取り組みの開始。
 正直就職については困惑している。何しろ何も資格がないし大学中途末籍では高卒と同じ。これで採用してくれるところがあるのだろうか?運転免許ぐらい取るべきか、それとも事務の資格か実技の資格か、いずれにしても何もなしで通用する世間ではないだろう。
 年収は300万~400万あれば最高なのだが、実際には150万~250万で手を打たなければならないんだろうな。

 自分の過去のものぐささのツケが廻ってきた感じ。

2009年7月26日日曜日

飲んでいた頃

 2002年9月3日が自分にとっては大きな転機だった。精神科で医師から「あなたはアルコール依存症です、これからは一切お酒を飲むことができません」と宣告された。自分は「この医者はキチガイだ、俺がアル中のはずないだろう、朝酒は飲まないし昼間も飲まない、確かに夜8時以降はたらふく飲むけど自分の金で飲んでいるんだし高い店で飲むわけでもなく路上で飲むわけでもなく、自宅で飲んでいるだけなのに・・・」全然認められなかった。
 医師は戦法を変えた「奥さん、この人ダメだね、全然認めてないもん。この人はねぇ酒を止められなくて最後はゴミみたいになって死んでいくんだよ、あなたやお子さんがそれに巻き込まれることはないからね、離婚しなさい」
 俺、呆然。当時は妻との間は冷え切っていて家庭内別居だったし、具体的な離婚の話も進み始めていたにも関わらず、医師から言われたとたん妻や息子との生活がいとおしくなった。
 その間一分ほどだったのか、5分だったのかは覚えていない・・・が、私はころっと変わった。(そこまで言うなら酒を止めて見せようじゃないか、止めてみせる)「わかりました断酒します」奥歯をかみ締めながらの決断だった。その後の手際は実に早かった、私の気分が変わらないうちに脳のCTを撮り、脳の萎縮の兆候があることを示し、入院を勧めた。でも自分は当時職場の移転問題を抱えていて休職する気には到底なれなかったので「通院」を要求した。その代わり2週間日曜日以外は毎日病院に行って点滴を受け、血液検査を受けるという条件だった。そしてその指示に従って自力の断酒を始めた。

 酒を止めてみると、その方がいろんなことが楽になるということを知った。酒を飲んでいる頃の自分は毎晩飲み始める時には「飲み過ぎないように気をつけよう」と思うのだが、飲み始めてしまうと止まらなくなる。ほどほどにほろ酔いというのはありえない状態で飲むうちに目がさえてきてブラックアウトするまで飲み続けてしまう。ブラックアウトするまで飲まないと飲んだ気がしないのだ。それでいて翌日の仕事のことは気にしていて、寝坊しないように、二日酔いは嫌だなと思っている。でも毎朝朝寝坊と二日酔いの苦しみを味わっていた。寝汗、おしっこ、タール便の垂れ流し、ブラックアウト後のことは一切覚えていなくて家族の様子を伺って変な事件を起こしていないかびくびくしている。それなら飲まなければいいと思うのだろうが、酒につかまってしまった人間は朝は「もう飲むまい」と思っていても夕方には「今夜は何を飲もうか」ということしか考えられなくなっている。自分は不眠が酷くてそれが深酒の理由だったが結局向精神薬や睡眠導入剤を処方されながら酒を一緒に飲んでいたからラリッテいたしブラックアウトも早くなっていった。こういう飲み方をする人間がアルコール依存症で、普通の人は飲みたい時は飲むし飲みたくない時は飲まない。コントロールできる。でも飲んでいた頃の自分にかろうじてできていたことは飲み過ぎないようにと切実に願いながら飲みすぎる自分に自己嫌悪を感じて自分の心を壊していくことだけだった。

 酒を止めて得られたもの 自分の心の落ち着き・家庭の平和・リラックスした楽しみ。

 せっかく酒を止めてもらったのにパチンコ依存にはまってまたもや「生きることがどうにもならなくなった」とは、自分のビョーキの根は相当深いんだなぁ。

 

2009年7月13日月曜日

去年の自分と今の自分・・・再

 去年の今頃自分は何をしていたのかな・・・と考えて去年の手帳を開いてみた。
 オオオオオオ・・・出たぁ。「自力」であがきまくっていた姿。妻には内緒でしたパチンコや買い物での借金を返そうと、買った物を購入価格の半額程度でオークションで売り飛ばして返済に充てる金額をひねり出していたのである。今から思えばなんと浅はかな自分であるか。スノーシュー・ノートPC・DVDなど自分がそれなりに大切にしていたものをいとも簡単に売り飛ばし、返済期日に間に合うようにひねくり出す・・・やっぱり「狂気」の一言。こんな精神状態じゃァ職場復帰なんてできっこないのに、「夏休みに向けて復帰プログラムを・・・」なんて焦っていた。これも職場復帰して給料もらえるようになればより返済が滞りなくできるだろうという自分の都合だけでの考え。自分の置かれている状況や現実を理解しなさ過ぎ。自分で自分の状態をわかっていないのに、他人に自分を理解してくれなんて求めること自体無理。ほんとに情けないね。
 だけど一年後に今の自分のようになっているなんて思ってなかったからね。いろんな自分の都合を捨て去っていくと執着から離れて客観的で冷静な判断が戻ってくる。こんな風になれるとは思ってなかったよ。12STEPの威力すごい。一度離れて自分が壊れていったのを体験できたから、このプログラムの持つ力を心の底から思い知ることができたんだな。
 自分の運命だったんだよこれが。そしてこれからもね。

 ところで数日前に一人の「仲間」が亡くなった。ある仲間が自宅に訪ねていったらワンカップの空瓶の転がる中でミイラになっていたそうだ。去年半年ほど同じ通所施設に通っていたのに、やけを起こして自主退所してしまった仲間だ。彼が抱えていた内面の恨みや怒りはすごかった。それらと向き合う力が育つ前に負けてしまったんだろう。「この病気は死ぬんだよ」何度も繰り返されているのだが、ちょっと酒が抜けると「もう大丈夫」と思い込んで離れて行き、そして酒につかまる。酒につかまったら死ぬ。運がよければ戻ってやり直すこともできるのだが、いつも運がいいとは限らない。死んだ仲間は明日の自分かもしれない。自分たちはそういう死と背中合わせにプログラムに取り組んで助け合う。エゴイズムという点では究極のエゴイズムだ。自分が酒を飲まないためには仲間が必要、プログラムが必要だからそれに従っている。結果としてそれが仲間にとっても必要な自分を育てていくというだけだ。甘い夢も幻想もない。仲間から離れプログラムに背を向けるのは簡単だがそれには酒が止まらなくて「死ぬ」という罰が待っている。怖いプログラムでもあるのが現実であり事実である。

2009年7月7日火曜日

誰でもよかった・・・幼稚なエゴイズム

 「無差別殺人」=特定の個人に対する殺意ではなく「誰でもいいから殺したかった」という殺人?中には「死刑になりたかった」という動機のものもある。自分が死にたいからといって、他人を巻き込むのはおかしいね。でも多分・・・だけど「誰でもよかった」っていう言葉の中にはいろんな意味があるんだと思うよ。去年の5月ごろの自分が、AAにつながって12STEP プログラムにつながっていないまま借金を重ねていたら、彼らと同じ心境になっていたかもしれない。「幸せそうに(勝手にそう見ているだけだけど)生きている人」がみんな疎ましくて、自分を疎外している者の塊のように感じられて、そんな奴らを殺しても自分も死刑になって死ぬんだから帳尻合ってるだろ・・・なんて発想。
 秋葉の事件もたぶん「秋葉にいて楽しそうにしている奴らを恐怖に陥れてびびらせてやる」みたいな裏返せば「俺の怖さを思い知らせてやるぞ」という幼稚なエゴイズムが根っ子のような気がするし、土浦の場合は「俺は死刑になって死にたいんだから何人殺してもいいんだ、殺せば殺すほど俺の死刑は重くなる」みたいな倒錯したヒロイズム(これも幼稚なエゴイズムの表象だが)だと思う。
 今回の大阪の事件も「俺はこんなに借金で苦しんでいてもう死ぬしかないところまで思いつめているんだから幸せそうにパチンコやってる奴らを何人か犠牲にしたってそれは自分を裁いてもらうための手段としてとても合理的な考えだ」という幼稚なエゴイズムによる行動だと思う。
 自分も去年の5月の自分のままでそのまま暴走していれば自殺するか蒸発するか無差別殺人かというところに進んでいたと思う。自分の場合はそうなる自分の怖さを感じたから自分の状況を変えていくためにAAに戻ることができ、12STEPプログラムで実際に状況が変化した。けれどこのプログラムを知らないで、自分の殻に閉じこもって自分中心の考えに囚われてしまえばああいう幼稚な自己完結的なエゴイズムという思考パターンの「合理性」を信じるようになっても不思議ではない。彼らも何らかの複合的な理由があって大人になれないまま成長してきてしまったのだろう。 そして決定的なまでに自己評価が低かったのだろう。自己評価があまりに低いと、他者に対する行為で自己の存在を確認しないと生きていくことが怖くなってしまう。「死刑になる」というのも彼らにとっては自分の行為を「社会が認めてくれた結果」だと勘違いをする。大いなる勘違いだが本人はまだ気づいていない。
 大人になれない・・大人になりたくない・・根っ子は一つだと思うがそういう自分を認め受け入れることができるのはまだまだ少数なんだね。
 

2009年7月6日月曜日

家族と自分自身の回復と

 今朝は次男が急性胃腸炎で中間施設を休むことになった。施設長からは先日も「家庭の役割りも大変だろうけど(実際大変なんだけどな)それを理由にサボっているところがあるんじゃないか」と言われてしまった。実際問題長男の学校卒業後の通所施設の研修とか体調不良、次男もまだ5歳で羽目をはずして体調不良になることもあるし、行くつもりでもどうにもならないことがママある。だから自分自身の回復はペースが遅い。仕方ないことだろう。こんなペースでは傷病給付や失業手当などの何らかの収入があるうちに再就職というのは無理かもしれないと不安がよぎる。
 けれど考え方を変えれば、前の職場にそのままいたら、今のように子どものために休んでいたら仕事にならなくて余計ストレスを溜めていただろう。むしろ今年という年に無職でいられたことは天から授かったチャンスだったんだろうな。自分が中間施設を休んでも収入は減らない。妻は仕事に安心して打ち込める。自分にとってもゆっくりとしたこの時間が必要だったんだと思う。

2009年6月27日土曜日

一年前の自分と今の自分

 これまでのブログを読み返して、一年間での自分の変化を感じ取ることができた。
 主にパチンコで作った借金をどう返済するかで右往左往していた自分
 自分で休職願いを出しながら、勝手に復職時期を夏休みと決めていた自分
 パチンコもとまらないままだった自分

 今は
 自己破産して免責決定を受け身軽になった自分
 退職してニュートラルになった自分
 パチンコも止まった自分

 一年間で問題の大半が片付いてしまった。これは奇跡!この12STEPプログラムのもたらした奇跡としか言いようがない。あんなに死にたかった自分が、今はよりよく、落ち着いて生きていきたいと願っている。すごいことだ。

 自分は2002年当時、妻とは家庭内別居で離婚もカウントダウンに入っていた。アルコールにつかまっていて、病院で解毒してもらって一人断酒を2ヶ月していたが、続かないような思いでAAにつながった。そして妻との関係は見事に修復され、結婚生活は明るくなり、おまけに次男まで授かった。
 2005年暮れごろからAAミーティングを離れ、「自力で大丈夫」とたかをくくり、それにパチンコのことを知られたくなかったのもあって、事業運営も危機を脱出する見込みが出てきたところで「有頂天」のピンクの雲に乗っかってパチンコ依存につかまってしまった。
 自分のポケットマネーでは足りなくなりカードローンで借りるようになり、あっという間に返済能力を超えていった。仕事のストレスからの逃避、パチンコ台の前だけが自分が安心していられる場所になっていた。給料のごまかしやローンが妻にばれるのを恐れて「ウソ」ばっかりの生活。職場にもウソ、家庭でもウソ、自分で自分の居場所をなくしていた。
 2007年11月 とうとう酒瓶が目に大きく映ってきた。一口飲んでしまった。自分でも「これについては嘘をつけない」という気持ちを持っていた。でもAAに戻るまでにはそれから半年の時間がかかってしまった。2008年5月 ギブアップして休職し、AAに戻った。そしてそれから一年。
 自分はようやく素面のスタートラインに立つことができた。

 AAから離れてスリップまで1年半だった。そしてそこからスタート地点までも1年半。時間というものを大切にしないとどうにもならない病気なんだ。

2009年6月19日金曜日

任せる

 再就職というものを考えていかないといけない時期にさしかかっているのかもしれないが、今はまだ何も考える気持ちになれない。MACのプログラムを信じて一日一日を過ごしていくつもり。

 自分の考えを締め出してしまおう。

2009年6月14日日曜日

自己破産しました

破産申し立てが受理され、無事?自己破産による免責が確定しました。

一年前には考えられなかった結末ですが、これで借金の問題からは解放されました。

2009年6月11日木曜日

パチンコが止まっている

今日でもう一ヶ月以上パチンコ屋に行ってない。新記録だし、前に止めようとがんばっていたときは苦しくて苦しくて20日くらいが限界だったけど、なんだか今回は楽。
でも、脳みその中にパチンコ欲求が消えたわけじゃない。妄想の世界ではじけまくっている。

余分な金は持ち歩かない、お金の使い道に目標を持つ、それにパチンコへの無力を認める。

案外効果的。でも最近はちょっとストレスたまり気味で爆発しそう。どこかで思い切り健康的に発散しないといけない感じ。

2009年4月21日火曜日

やぁめた!

 自分を「強迫的ギャンブラー」だと規定してGAプログラムも必要だと思っていたけれども、なんだか違うみたい。もちろん「金」と「暇」ができたら毎日パチンコを楽しむだろうけど、今は月に一回程度しかできないしあまりやる気もおきない。
 今日はエヴァンゲリオン~最後の使者を初めてやった。やりたくてたまらなかったんだけど、時間とチャンスがなくて抑えていた。確かに暴走モードへの入り方とか覚醒が渚カヲルになったとかリーチ後の展開がマトリアルやガギエルが復活してゲームとしての面白さは高まっているけど、やっぱり夢中になるほどの興奮を感じない。ドル箱山積みという幻想はもう持っていない。
 7500円の投資で13000円の回収。この程度が妥当なところだと思う。欲張ると結局飲まれてしまうし数万円も儲けようというのは虫が良すぎる。遊んで3000円の儲けなら十分だと思う。
 前みたいに毎日いかなくちゃならないという囚われからは解放されている。問題は通所が終って就職してからの生活だろうと思う。でも、それを考えるとまた苦しくなるから、とにかく今日一日。

 神様、私は今私の良いところも悪いところもすべてあなたにお任せする気持ちになっています。あなたと、そして仲間たちの役に立ちたいと願う私の行くてを邪魔する性格上の欠点をどうか取り除いてください。私がどこにいるときでもあなたの意思を行っていく強さを私に与えてください。

2009年4月19日日曜日

やっぱりダメなのか?

 パチンコを完全にやめることができない。1カ月程度でやってしまう。1円パチンコで抑えているけどね。何で止められないんだろう?ふっと空白の時間があるとダメなんだよなぁ。
酒を飲む>浮気する>借金する>パチンコという図式で衝動を抑えているんだよなぁ。

 もうこれは一生ダメなのかもしれない。借金に行かないようにだけは気をつけないとね。

 自分の労働の可能性に自信がないからいけないんだろうな。

2009年4月3日金曜日

やっぱり・・・

 今日、また母から保証人になってくれと連絡があった・・・が、「今無職だよ」といったら「じゃぁダメね、姉に頼むか・・・じゃぁ」と切られた。
 何なんだ?これ。息子とはいえ人に物を頼む時にこういう言い方あるのか?今まで何をしてくれた?親として18まで育て大学の入学金を支払うまではしてくれたけど、実家に帰っても都合のいい自慢話と他人の悪口しか言えない母親と精神状態ぐちゃぐちゃの兄に散々振り回されて嫌な思いばかりしか記憶にない。勘弁しろよ、いい加減変われよ・・・とは言っても無駄だ。

 神様、私にお与えください
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
 変えられるものを変えていく勇気を
 そして二つのものを見分ける賢さを
 私の意思ではなくあなたの意思が行われますように。

 

2009年4月1日水曜日

母のこと

 先日母から連絡があり、アパートを引っ越すことになるからその時には「保証人」になってくれとのこと。機械的に「うん」と答えたが、なんかもやもやしていた。正直なところもう「保証人」はうんざりだ。兄のこともあるし自分の自己破産のこともある。だけど断ればまた根掘り葉掘り理由を聞かれる。

 母は心を霊的に病んでいる人だし恐らくADDじゃないかと思う。母の恨みの大本は自分の母親(私から見れば祖母)から引き離されて一人理髪師の徒弟にされたこと。終戦直後、満州からの引き上げ者で財産をすべて失い、父親も脳溢血でなくし(恐らくこの私から見れば祖父に当たる人もアルコール依存症だったのだろう)母たち四人の姉妹と末の弟を抱えて途方にくれたのだろう。母はこの兄弟の自助にあたる。長女は妹や弟の面倒を見る手伝いで家庭生活の戦力だったのだろう。そして妹たちはまだ幼かったり病弱だったりで外に出せなかった。こういう事情を知れば男勝りで気が強く元気いっぱいだった次女の母が「口減らし」と「手に職を持たせれば食いはぐれることもあるまい」という親心から家を出されたのは納得できることなのだが、母にとっては未だに納得できない屈辱だったようだ。
 祖母を一時実家で引き取って面倒を見ていたこともあったが、母はここぞとばかりに昔のことを引き合いに出して祖母を苦しめたらしい。結局祖母は長女のところで命を全うした。母にはこういうところがある。結構根深い執念深さがある。母親への仕打ちもそうだし、私の義理の姉たちやその母親に対する言い方も変わらない。「あんな変な女とくっついたのがパパの失敗だったのよ」この理屈はとにかくすべてに貫いている。兄が母から自立しようともがきながら結局自滅して行った根底にも「あんな変な女とくっついたから・・・」だった。母にかかっては母以外の女性はみんな「あんな変な女」になってしまう。
 それでいて自分自身はどうなのかといえば、片付けもろくにできない人だった。料理はできるけどそれ以外の家事はダメ。洗濯も干しはするけど畳むのはできなかったし、家の中はいつも何がどこにあるかわからない状態だった。他人の悪口陰口はたんまり言う。みんな「ケチ」か「見栄っ張り」ということになる。実は自分が一番の見栄っ張りなのに。姉夫婦が買ったつつましい建売住宅の近くの土地を購入してこれ見よがしに自己設計の家を建てたのは「あてつけ」としか言い様がない。それでいて姉たちを引き取ることになって「失敗した」と思ってもこりない。恩を売ることは押し付けがましい癖に自分は欲得ずくでないと何も他人に与えない。

 こんな母だから私が「自己破産」したと言えば今度は私の妻まで「変な女」にされかねない。もっとも不思議なことだが、今まで私が家に紹介した女性には「変な女」よばわりはしない。私の女性を見る目については一目置いているのかもしれない。

2009年3月31日火曜日

年度替わり

 明日から新年度。自分が休職したのは去年の5月だから私が抜けて初めての新年度ってことになる。まぁ、そんなことは今更どうでもいいんだ。保育園も異動があり担任が代わる。いい保育士に当たって欲しいな。

2009年3月27日金曜日

幸せでありたい

 今の自分は傷病給付金の収入で生活していてとても経済的には苦しい。しかも自己破産の手続きをしている最中というのに、なぜか幸福感を感じている。
 この家族に対する愛情はかつて経験したことがないほどのものだ。
 これからも幸せでありたい。

 飲まない・賭けない今日一日を。

2009年3月26日木曜日

墓参りと鉄道博物館

 先週の土曜日、お彼岸なので次男を連れて父の墓参りに行きついでに同じニューシャトル沿線にある「鉄道博物館に行ってきた。
 次男には墓参りに行くたびに、「パパのパパはなんで死んじゃったの」と聞かれる。その度に「お酒を飲みすぎて脳の血管が何度も切れて、最後は片足も切り落として死んじゃったんだよ」と答えている。事実そうなのだが、こうして言葉にしてみると壮絶だ。それにその父の晩年を支えていた母や兄のことも思いやる気持ちが出てくる。
 花を手向け、水をやり、手を合わせる。次男も小さな手のひらを合わせている。「こんなかわいい孫を見ないで死んじまって、バカな人生だと思わないか」心の中で父に話しかける。
 一個連隊3000人の中でわずか数名の生き残りの一人だったという幸運を持ちながら、酒で身を持ち崩した晩年。友人もなく家族だけしか残らなかったさびしい葬儀。
 
 それはともかく、鉄道博物館。11時についてすでに体験ゾーンは4時からの回しか空いていないという人気。親子ずればっかりなのはもちろんのこと、まずは早めの昼食を食べてしまってから場内を走るミニトレイン「はやて」に並ぶ。30分以上待ってようやく乗れたが、走行時間は3分、なんか割に合わない感じ。次男は3歳児以下対象のプレイスポットに行きたがったのでとりあえず行く。やっぱりすぐに飽きる。次はミュージアムショップ、ここに来ると目の色が変わる次男。いろんな電車のおもちゃに釘付け。向こうも商売だから仕方ないけどね、もうちょっと広くしてくれないとすれ違いもできないような混み方。そして次は鉄道ジオラマ。これは地下鉄博物館でも見ているのですぐにイメージが湧いて並ぶのも納得してくれた。新幹線、SL、ブルートレイン、通勤電車が走り回るのに釘付け。終ってから必ずすべての男子が観覧席からジオラマに走っていくが、我が家の次男君は「ガラス」に気づかず「ゴン」とはでな音を立てて激突。機関車や貴重な列車もあるけど、これについては立川の鉄道公園のほうが計器を直接見れるし展示としては良かったと思う。

 ここでもふっと頭をよぎった思い出。父も兄を連れて何度も当時秋葉原にあった鉄道博物館(交通公園)に行ったと聞いていた。私はあまり記憶がないが、まだ埼玉に引っ越す前のことだったのだろう。
 
 父が姉たちのことをもっと早くに母に相談していればまた違った家族になれたんだろうな。最初から無理なローンを組んで生活に困ることもなかったんだろう・・・。ホント行政手続きを甘く見ていたんだよな、父は。それに母が見栄っ張りでなければ計画を変更できたんだよな。

 次男よ、君には楽しい家族の記憶をたくさん残してあげるからね。

2009年3月17日火曜日

生きづらさの原点

 自分の依存症気質の原点が良く理解できたような本に出会った。ギャンブル依存症の施設の冊子なのだが、とてもよくわかる。

 普通の人はまず「私」の周囲に親・兄弟など家族というクッションがあり、そのクッションでショックを和らげながら社会との関わり、友人や恋人、仕事関係の人間関係などに適応していくのだが、私のようなAC家庭に育った人は家族というクッションで和らげられることなく丸裸で社会と向き合っていくことになる。だからいろんなことがとても痛いし加減がわからない。

 自分の人生を振り返ってもうなずける。20代の頃の同棲相手との関係はとても普通じゃなかった。自分を傷つけながら相手を傷つけてボロボロの世界だった。「二人きり」の世界に思いっきりはまり込んでいた。そこに第三者の闖入を許したのも自分で、そのことで相手はとてもとても悲しみ傷ついた。今頃になってようやく何が彼女を一番傷つけたのかに気づいた自分・・・かなり重症だ。

 兄や母との関係で自分がぶれるのも同じ。母は私を庇護していたつもりかもしれないが、私にとっては余計なお世話でしかなかった。私に嫌われて母は兄を溺愛するようになったのだろう。同じ早稲田を目指しながら弟の私に先を越されて惨めだった兄、異母姉を憎み母を愛した兄、兄にとっては異母姉たちと同居する前の長男としてかわいがられていた時期が忘れられないし、本来ずっとそれが続くべきだったのを異母姉たちが壊したのだと恨んでいたのだろう。私とて早稲田を選んだのは父に気に入られたいから。父が早稲田出身で早稲田しか私立を許さなかったから。父が満足してくれたところで自分にとって入試の意味は終っていたのだろう。
 
 なんてひりひりとした「家庭」だったことだろう。耐え難かったことも事実。自分の実家の異常性から逃げたかったのも事実。逃げてきたのに兄の病気で関わらざるを得なくなり、自分の心や感情のペースが乱されてしまったのも事実。そしてパチンコ台の前で安心する自分を発見してきたのも事実。

 おかしいのはパチンコもやりたがるくせに大当たりが続くと急に不安になり家に帰らなくてはという気持ちが強く湧き出てくる自分。後ろめたいし妻にも子どもにも申し訳ないと感じている自分を見出す。
なんだかここまで来たらこの依存から抜け出すのも時間の問題だと思う。なんだか必要がなくなってきたと自分で感じるんだ。パチンコなんてやらなくたっていいし、それより子どもと遊ぶ計画や妻をいたわりたいと思っている。

 でも「金がほし~」ってのはあるけど、それはパチンコとかギャンブルじゃ手に入らないものだからね。
 

2009年3月7日土曜日

100点満点の一日?

 今日は自己評価100点満点の一日だった・・・と思う。
 朝、長男の介助→次男と遊びながら布団を干して部屋の掃除
 午前、次男と図書館へ行きお目当ての本を借り→折り紙の本を買いに行き→折り紙を買った
 昼、次男が大好きなザル蕎麦を作り、食べ→一緒に折り紙
 午後、布団を取り込み、防ダニ対策をして→シーツ・掛け布団カバーをかけ→夕飯の買い物へ
 夕飯の買い物ついでにおやつのアイスクリームを買って公園で一緒に食べ→そのまま公園で遊ぶ
 保育園に行ってシーツ・掛け布団カバーをかけてきて→帰宅後は夕食作り
 3チャンネルでピタゴラスイッチを見せながらおかずを三品作り、ちょっと早めに夕食。
 ミーティングに行って帰ってきたら次男が待ち構えていてくれた。

 う~んこれを『幸福』と言うのだろうな。

2009年3月4日水曜日

片が付いた

 自己破産の手続きは完了。長男の子ども保険の名義変更も間に合って、ホッと一息。破産しちまえばもう失うものもないでしょう。それにしても俺の経済感覚って壊れているよなぁ。なんだかこの点に関しては5・6歳並なんじゃないか?
 あ~金欲しい。とにかく遊ぶ金がほし~あぶく銭がほし~・・・・生活保護並みのお小遣いだからねぇ、それでももらえるだけましだと考えないといけないんだよ。でも手元に10万円ぐらいほし~よ~

2009年3月2日月曜日

ちょっと危ない時期?

 AAミーティングも中間施設も長男の病気や家族スキーなどで行けない日が続き、ちょっと危ない精神状態。またまた過去の亡霊に囚われそうな恐れと、一方で家族旅行で楽しかった分調子に乗ってしまっている「有頂天」という誘惑。こういうのがあまりよろしくない。毎日平凡で変化がないことが一番なのにどうも「変化」に弱いから「変化」があると妄想が出てくる。やっぱり地道な仕事を選びたいよ。地道でこつこつやっていくことが楽しめるような人間になりたい・・・って50になろうとしている男の言うことか?

2009年2月26日木曜日

待てない、不安、恐れ

 今日はダメダメの一日ってほどじゃなかったけれども、やっぱり自分の弱点さらけ出しの日だった。長男の子ども保険の名義変更をしていたのだが妻がちょうどタイミング悪く検査で引っかかって告知書が一発で通らず、今日まで結果が出てこなかった。結果が出るまでの数日間の長かったこと。自分の中では告知書でひっかかって名義変更できなかったらどうしようという不安、そしてその場合の損失の大きさへの恐れ、こういう恐れが出て来るとビョーキが顕在化する。
 全くナンセンスなビョーキだと思う。「頭痛を治すために頭をハンマーで殴る」というそのもの。突然金が欲しいという欲求でパチンコに行く。不安や恐れを紛らわす方法にパチンコを使っている。結果的にはこういう行動は正反対の結果を生む。わかっちゃいるんだけど・・・・

 名義変更は結果的にOKが出てひとまずホッとする。まったく、結果が出るまで待てない自分。弱いなぁ。妻は本当にその点強い。結果が悪い方に出ても様々な合法的手段を使って徹底抗戦すると言っていた。そうなんだよなぁ、こっちがお客様なんだから何もびくびくする必要ないんだよなぁ。なのになぁ、弱いんだよ。なんだか後ろめたくて強気になれない自分。脳みその中では「解約」するなら借金を全額キャッシュで返した方がいいのかなぁとかどうしようもないことばかりしか出てこない。

 弱い、本当に弱いよ。

2009年2月24日火曜日

後ろ向きの発作

 なんだか久しぶりに「後ろ向き」の発作が出た。早朝覚醒でふっと前職場の様々な事柄にとらわれてしまった。銀行の名義変更だって本来職場の方がするべきことだったとか、児童の受け入れのことも俺は間違ってなかったとか、俺が買ったものも結局は俺が負担したんだし文句言われる筋合いじゃないとか・・・そういう過去へのとらわれ。

 やだやだ、こういう感情が出て来るとメチャクチャ後ろ向きになり、怒りや恨みが生じる。根っ子は結局自己正当化して自分をかばいたいと思う心に過ぎない。

 結局、「この結果は自分でもたらしたものなのだ」組織の弱さも自分で作ってきた結果であって、それは自分が退職することが一番組織を強くすることにつながる。つまり自分で自分を不要のものにしなければ、手放さなければ自分が殺されるし、組織も壊れるというところまで来ていたのだ。

 これからも時折出てくるんだろうな、「後ろ向き発作」
 もう過去の栄光は忘れ去ろう。自分にはまだ未来があるのだから、未来に向かって生きていかなきゃ切り開けるものも切り開けないよ。頑張れ自分!

2009年2月21日土曜日

なんだか一本抜けてきた

 最近好調!パチンコも止まっているし、自分と向き合うこともできている。
去年の今頃とは大違い。これが奇跡と言わずして何を奇跡といえるだろう?

 このプログラムはやはりすごい。AAの12ステップの効果は絶大だ。

職場とのしがらみや未練、これが断ち切れたのは大きい。今まで自分を縛り付けてきたものを「手放す」ということはとてもできないと思っていたし、実際からだの半身を切り裂かれる思いだった。けれども『手放す』ことで楽になった。自分はもうあの重い荷物を背負う必要がないのだと思うとなんと気が楽になったことか。仕事についてはこれからの中間施設からの提案に従って考えていけばいいことだ。

 自己破産も順調に進んでいる。気がかりなのは長男の保険の名義変更で手間取っていること。これさえうまく行けば何も問題はない。でも大抵こういうところで大きな落とし穴というものがあるということはこれまでの経験でわかっているから、どう転んでも仕方がない。あとは自分がこれからいかに有意義に生きて返していけるかにかかっている。

 実家のことはもう考えない。兄について言えば自業自得だし、彼を助けられるほど自分には余裕がない。母についても同じ。俺の借金のことでは相談しても何も反応しないのに兄の借金については一生懸命責任を果たそうとしている。相変わらずのイネイブラ。彼ら二人が今後どうなろうとも私は一切関わらない。せいぜい葬式にくらいは行ってあげようという程度だ。

 ミーティングも軌道に乗りつつあり、子どもを中心とした楽しい日々が続いている。自分には愛する妻がいる、息子が二人もいる。どちらもいい子達だ。なんて幸せなんだろう。この幸福を壊したくないし自分も生き続けていきたい。

 酒・パチンコ・カードローンはもうやだ。どれも自分にはコントロールできないもの、捨て去るしかない。貧しいながらもお金は余る。使わなければお金は溜まっていくものなのだと今更になってようやくわかるようになった。

 当面、お金をためる目的はスノーシューを買い換えること。目標額は6万円かな。一年先ぐらいの目標だけど、そのくらいの目標でいいんじゃないかな・・・。

2009年2月7日土曜日

生きる

 命短し恋せよ乙女・・・・自分が今もし癌で余命半年と宣告されたらどうするだろう。
 生ききることができるだろうか?
 生前給付金で遊びまくってしまうだろうか?

 だけど、やはり「人間」として生きていきたいな。
 
 今日は次男と遊びに行って楽しかった。すごくいい顔をたくさん見せてくれた次男。
 この笑顔を曇らせたくない。心に傷を負わせたくない。

 「パパ、だぁいすき」と言ってもらえる父親であり続けたい。

 今日一日を大切に生きていきたい。

 
 

2009年2月2日月曜日

自分は何も返していない

 つくづく思い知ったのは、自分は妻に対してまだ何も返していないということ。2002年の9月3日から始まった断酒生活では、彼女も私の辛さを思いやり、それまでの私の悪行も「病魔」のせいだと受け止めてくれていた。それから3年間は確かに私も「生きて」いた。仕事の厳しさ、家庭生活の制約を受け入れてそれに満足を感じていた。それなのに、2005年の冬から今日までの自分は何なのだろう?
 兄が倒れ実家が破産したということのダメージはそんなにも大きかったのだ・・・兄の生き方、倒れ方を実はうらやましがっていた自分がいた。恨んでもいたし怒りもあったけれども、それ以上に脳内出血で倒れて3ヶ月も意識不明になり、すべての処理を母親と私に押し付けて脳天気に生きている兄がうらやましいと思う自分、情けない。確かにこのときに自分を抑えていたタガが外れてしまった。それまではパチンコも時折やってはいたが、借金はしなかった。借金を一度始めると崩れるだろうと怖かったから。でもこのときに外れてしまったタガはカードローンの雪だるまのようなふくらみと、自分自身のどうしようもない崩壊へと滑り落ちていった。
 誰よりも妻を傷つけていたことに気がつかなかった。妻は私を信じていたのに私は裏切っていた。そしてつい先日もまた裏切った。妻に借金の金額や状態について正直になれたのは去年の9月になってからだったし、その間に額は150万になっていた。
 これから自分に何ができるのだろう・・・死ねば妻も息子もさらに一層傷つけることになる。しかし自分にできる恩返しは生き恥さらしながらもこつこつとお金を使わない、ギャンブルをしない、酒を飲まない生き方を積み重ねて、せめてこれ以上妻や息子たちに迷惑をかけないようにしていくことだと思う。
 次男が今年5歳。あと15年は生きよう。15年後のことはそのときに考えよう。とにかく無駄遣いをしないで真面目にこつこつ、今日一日を生きていく。自分に厳しくとにかく自分に厳しくだ。

 

2009年2月1日日曜日

狂気から正気へ・・・なんだか抜けたような・・・

 土曜日、酷いとらわれからスリップしてしまった自分だったのだが、妻にばれて非常に強い不信感をもたれてしまった。もちろん自業自得であるから仕方がない。でもその日の夜のミーティングで正直に自分の弱さとへたれさを分かち合えたところ、突然スイッチが切り替わっていった。なんだか今回はかなりすっきりした感じ。とらわれから解放されたような気分になれた。
 今日は妻は相変わらず不機嫌ではあるが、妻の偉いところは問題をまぜこぜにしないで、問題になっているところだけ・・・つまり病気のところだけを厳しく指摘するところ。ほかのことについては自分が普通にきちんとしていさえいればノークレーム。すごいなぁ・・・。俺だったら問題をあれこれまぜっかえして穿り返して全面否定とかしちゃうだろうに、そうはならない。正気とは彼女のような人間を意味するんだと改めて実感。自分も良くなりたい。正気になりたい。やればできると思う。

2009年1月31日土曜日

狂気は健在?

 あああ、またやっちまった。やりはじめると止まらない。止めるのが辛い。なんなんだろうね、理屈じゃわかっちゃいるつもりなんだけどね。やだなぁ。自己嫌悪。これがある限り自己評価が上がらないよ。

2009年1月21日水曜日

心をむしりとられる・・・

 時折退職した職場のHPを見てしまう。見てもせん無いことなのだが・・・。私がいなくても職場は滞りなく運営されていく。私が去年まで背負っていた荷物はそれぞれ職員たちによって分担され、一人一人の職員の仕事も軽減され、問題なく済まされていくのだろう。そして私は忘れ去られていくのだろう。
 悲しいなぁ。切ないなぁ。
 俺が20年間手塩にして築いてきたものが、あっさり私の手から切り離された。もちろんそれはすべて私の弱さや無能さによって切り離されることになったのだけれども・・・。

 結局は自分が自分で招いた結果なのだ。今、自分に出来ることは過去を振り返ることよりも、自分自身のこれからに意識を集中すること。でなければ自分はダメになる。自分にとって何が大切なのか、何を目指して生きるのか、自分の本来の願いはどこにあるのか・・・。

 そうだよ。さようならだ。すべて過ぎ去った過去の栄光でしかない。それに、じゃぁ今あの職場に戻って過去とは違った働き方ができるのか?と問えば、自分の中にそれを拒絶する自分がいる。あのハードワークに戻りたくはない。一人の被雇用者として働きたい自分がいる。

2009年1月18日日曜日

浮き足立っている自分

 今日の夕方からなんだかふわふわと浮き足立っている自分を発見。なんでだろう?
 一つはなんだかいろんなことがこれからはスムーズに片付いていくのではないかという予感のようなもの・・・根拠がないのだが・・・。
 一つは息子がかわいい。あまりにも自分に似ている息子がかわいくて仕方ない。性格もおどけ方もそっくりで、自分の子ども時代を髣髴とさせる。この息子に辛い思いはさせたくないと強く思う。
 さらにもう一つは、ロト6で1000円当たって、これからもっと当たるんじゃないか・・・というこれも根拠のない妄想。
 三つのうち二つは根拠がないというのは情けない。こんな程度のことで浮き足立つのか・・・?
 だからすぐに失望したり悲観的になったりもするんだよ。地に足をつけて生きようよ、俺。

2009年1月17日土曜日

子どもの中に見出す自分

 次男君は性格が自分にそっくり。いろんなことに夢中になるとそればっかりになる。現状維持的傾向が強く切り替えが弱い。今はウルトラマンと将棋と囲碁とドミノにはめている。結構夢中になるしゲームが好きな素養はたっぷりなので、彼を見ていると自分の弱さをもろに映し出される。甘ったれでへたれで、だけど憎めない愛嬌がある。う~ん誰かそっくりだ・・・。

自分の狂気に向き合う

 自分の中に住まう狂気の自分。狂気の自分と比較的まともな自分(本来の自分?)とで向き合うと、時には狂気の自分が比較的まともな自分を圧倒してしまう。でもこれで「仕方ない」と諦めてしまえば自分本来の良いところは一生戻らなくなってしまう。比較的まともな本来の自分の援軍は「神」だけ。狂気の自分を小さく小さく押し込めていくには、比較的まともな本来の自分を育てて励ましていくしかない。「大きくなぁれ、大きくなぁれ」である。今はまだ狂気の自分を押し込めるには自分の内面の力を思いっきり必要としている。
 疲れる・・・が、これが必要な作業なんだということは明らかなんだ。

2009年1月14日水曜日

死に至る病

 どうにも止まらないこの衝動。心が壊れている。身体は幸い壊れないのだが、心の根っ子が腐っている。根グサレしているからどうにも育たない。衝動から自分を引き剥がせない。自力ではとても無理だし自分の今後に希望が見出せない。全部全部壊れちゃえ。碧空がかわいそうだけど、俺はやっぱりこの世に生きていてはいけない人なのだと思う。誰も幸せにすることができない。自分を変えることが出来ない。自分自身に対して無力なこと、生きるということに無力。この「自分」という生き物は一体何者だ?気持ちが悪い狂人としか言いようがない。自分の狂気に反吐が出る。いっそ殺してしまいたい。けれどけれど、神はなぜ自分のような生き物を生かしめているのか?わからない。これも神の予定なのか?

2009年1月5日月曜日

なんでダメなんだ?

 なんでちょっとした我慢ができないんだろう?理屈ではわかっているさ。ダメなんだよ、それやっちゃ。なのに結局やってしまう自分・・・・。

 もう生きていても辛いよ。なんでこんなことが我慢できないでコソコソ生きているんだろう・・・・?

2009年1月3日土曜日

衝動を持つ自分を受け入れる

 理屈ではわかっているんだけど、心ではわかっていない。ここに問題の根っ子があるんだよ。結構深い根っ子だな。自己破壊的な衝動というものを持っている自分。傍から見れば、というか普段の自分でも自分の行動はおかしいと思うもの。だけど衝動が突き出てくると視野が狭くなってその衝動に突き動かされてしまうんだよ。ダメだダメだと思っていても、矢も立てもたまらなくなって動いちゃうんだ。
 かなり深いところで壊れているんだよ。

 永遠なのか本当か、時の流れは続くのか
 いつまでたっても変わらないそんなものあるだろうか
 見てきたものや聞いたこと 今まで覚えたぜんぶ
 でたらめだったらおもしろい
 そんな気持ちわかるでしょう
 
 答えはずっと奥の方 心のずっと奥の方
 涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方

 なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
 なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう

 情熱の真っ赤なバラを 胸に咲かせよう
 花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方

2009年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます

 2009年の幕開けですが、世の中大不況(恐慌と言ってもいいくらいだが)で暗い話題が多いですね。
 年賀状が来ました。やはり例年に比べて減っています。仕方が無いけど職場関係のものがげっそりと減っていますから。けど中にはうれしいものもありました。

 どうにもならない自分の中にある衝動的に突き上げてくる「もの」はどうにもならんです。何なのでしょう?なんでこういう衝動が湧き上がるのでしょう?ほとんどというかやっぱり病気です。

 病気は治るものですがこの病気は治るものではなく「回復」しかないそうなので、今年もとにかく「回復」に努めて行きます。

 神様 私にお与えください
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
 変えられるものを変えていく勇気を
 そして二つのものを見分ける賢さを
 私の意思ではなく あなたの意思が行われますように。