2009年3月17日火曜日

生きづらさの原点

 自分の依存症気質の原点が良く理解できたような本に出会った。ギャンブル依存症の施設の冊子なのだが、とてもよくわかる。

 普通の人はまず「私」の周囲に親・兄弟など家族というクッションがあり、そのクッションでショックを和らげながら社会との関わり、友人や恋人、仕事関係の人間関係などに適応していくのだが、私のようなAC家庭に育った人は家族というクッションで和らげられることなく丸裸で社会と向き合っていくことになる。だからいろんなことがとても痛いし加減がわからない。

 自分の人生を振り返ってもうなずける。20代の頃の同棲相手との関係はとても普通じゃなかった。自分を傷つけながら相手を傷つけてボロボロの世界だった。「二人きり」の世界に思いっきりはまり込んでいた。そこに第三者の闖入を許したのも自分で、そのことで相手はとてもとても悲しみ傷ついた。今頃になってようやく何が彼女を一番傷つけたのかに気づいた自分・・・かなり重症だ。

 兄や母との関係で自分がぶれるのも同じ。母は私を庇護していたつもりかもしれないが、私にとっては余計なお世話でしかなかった。私に嫌われて母は兄を溺愛するようになったのだろう。同じ早稲田を目指しながら弟の私に先を越されて惨めだった兄、異母姉を憎み母を愛した兄、兄にとっては異母姉たちと同居する前の長男としてかわいがられていた時期が忘れられないし、本来ずっとそれが続くべきだったのを異母姉たちが壊したのだと恨んでいたのだろう。私とて早稲田を選んだのは父に気に入られたいから。父が早稲田出身で早稲田しか私立を許さなかったから。父が満足してくれたところで自分にとって入試の意味は終っていたのだろう。
 
 なんてひりひりとした「家庭」だったことだろう。耐え難かったことも事実。自分の実家の異常性から逃げたかったのも事実。逃げてきたのに兄の病気で関わらざるを得なくなり、自分の心や感情のペースが乱されてしまったのも事実。そしてパチンコ台の前で安心する自分を発見してきたのも事実。

 おかしいのはパチンコもやりたがるくせに大当たりが続くと急に不安になり家に帰らなくてはという気持ちが強く湧き出てくる自分。後ろめたいし妻にも子どもにも申し訳ないと感じている自分を見出す。
なんだかここまで来たらこの依存から抜け出すのも時間の問題だと思う。なんだか必要がなくなってきたと自分で感じるんだ。パチンコなんてやらなくたっていいし、それより子どもと遊ぶ計画や妻をいたわりたいと思っている。

 でも「金がほし~」ってのはあるけど、それはパチンコとかギャンブルじゃ手に入らないものだからね。
 

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