「無差別殺人」=特定の個人に対する殺意ではなく「誰でもいいから殺したかった」という殺人?中には「死刑になりたかった」という動機のものもある。自分が死にたいからといって、他人を巻き込むのはおかしいね。でも多分・・・だけど「誰でもよかった」っていう言葉の中にはいろんな意味があるんだと思うよ。去年の5月ごろの自分が、AAにつながって12STEP プログラムにつながっていないまま借金を重ねていたら、彼らと同じ心境になっていたかもしれない。「幸せそうに(勝手にそう見ているだけだけど)生きている人」がみんな疎ましくて、自分を疎外している者の塊のように感じられて、そんな奴らを殺しても自分も死刑になって死ぬんだから帳尻合ってるだろ・・・なんて発想。
秋葉の事件もたぶん「秋葉にいて楽しそうにしている奴らを恐怖に陥れてびびらせてやる」みたいな裏返せば「俺の怖さを思い知らせてやるぞ」という幼稚なエゴイズムが根っ子のような気がするし、土浦の場合は「俺は死刑になって死にたいんだから何人殺してもいいんだ、殺せば殺すほど俺の死刑は重くなる」みたいな倒錯したヒロイズム(これも幼稚なエゴイズムの表象だが)だと思う。
今回の大阪の事件も「俺はこんなに借金で苦しんでいてもう死ぬしかないところまで思いつめているんだから幸せそうにパチンコやってる奴らを何人か犠牲にしたってそれは自分を裁いてもらうための手段としてとても合理的な考えだ」という幼稚なエゴイズムによる行動だと思う。
自分も去年の5月の自分のままでそのまま暴走していれば自殺するか蒸発するか無差別殺人かというところに進んでいたと思う。自分の場合はそうなる自分の怖さを感じたから自分の状況を変えていくためにAAに戻ることができ、12STEPプログラムで実際に状況が変化した。けれどこのプログラムを知らないで、自分の殻に閉じこもって自分中心の考えに囚われてしまえばああいう幼稚な自己完結的なエゴイズムという思考パターンの「合理性」を信じるようになっても不思議ではない。彼らも何らかの複合的な理由があって大人になれないまま成長してきてしまったのだろう。 そして決定的なまでに自己評価が低かったのだろう。自己評価があまりに低いと、他者に対する行為で自己の存在を確認しないと生きていくことが怖くなってしまう。「死刑になる」というのも彼らにとっては自分の行為を「社会が認めてくれた結果」だと勘違いをする。大いなる勘違いだが本人はまだ気づいていない。
大人になれない・・大人になりたくない・・根っ子は一つだと思うがそういう自分を認め受け入れることができるのはまだまだ少数なんだね。
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