2002年9月3日が自分にとっては大きな転機だった。精神科で医師から「あなたはアルコール依存症です、これからは一切お酒を飲むことができません」と宣告された。自分は「この医者はキチガイだ、俺がアル中のはずないだろう、朝酒は飲まないし昼間も飲まない、確かに夜8時以降はたらふく飲むけど自分の金で飲んでいるんだし高い店で飲むわけでもなく路上で飲むわけでもなく、自宅で飲んでいるだけなのに・・・」全然認められなかった。
医師は戦法を変えた「奥さん、この人ダメだね、全然認めてないもん。この人はねぇ酒を止められなくて最後はゴミみたいになって死んでいくんだよ、あなたやお子さんがそれに巻き込まれることはないからね、離婚しなさい」
俺、呆然。当時は妻との間は冷え切っていて家庭内別居だったし、具体的な離婚の話も進み始めていたにも関わらず、医師から言われたとたん妻や息子との生活がいとおしくなった。
その間一分ほどだったのか、5分だったのかは覚えていない・・・が、私はころっと変わった。(そこまで言うなら酒を止めて見せようじゃないか、止めてみせる)「わかりました断酒します」奥歯をかみ締めながらの決断だった。その後の手際は実に早かった、私の気分が変わらないうちに脳のCTを撮り、脳の萎縮の兆候があることを示し、入院を勧めた。でも自分は当時職場の移転問題を抱えていて休職する気には到底なれなかったので「通院」を要求した。その代わり2週間日曜日以外は毎日病院に行って点滴を受け、血液検査を受けるという条件だった。そしてその指示に従って自力の断酒を始めた。
酒を止めてみると、その方がいろんなことが楽になるということを知った。酒を飲んでいる頃の自分は毎晩飲み始める時には「飲み過ぎないように気をつけよう」と思うのだが、飲み始めてしまうと止まらなくなる。ほどほどにほろ酔いというのはありえない状態で飲むうちに目がさえてきてブラックアウトするまで飲み続けてしまう。ブラックアウトするまで飲まないと飲んだ気がしないのだ。それでいて翌日の仕事のことは気にしていて、寝坊しないように、二日酔いは嫌だなと思っている。でも毎朝朝寝坊と二日酔いの苦しみを味わっていた。寝汗、おしっこ、タール便の垂れ流し、ブラックアウト後のことは一切覚えていなくて家族の様子を伺って変な事件を起こしていないかびくびくしている。それなら飲まなければいいと思うのだろうが、酒につかまってしまった人間は朝は「もう飲むまい」と思っていても夕方には「今夜は何を飲もうか」ということしか考えられなくなっている。自分は不眠が酷くてそれが深酒の理由だったが結局向精神薬や睡眠導入剤を処方されながら酒を一緒に飲んでいたからラリッテいたしブラックアウトも早くなっていった。こういう飲み方をする人間がアルコール依存症で、普通の人は飲みたい時は飲むし飲みたくない時は飲まない。コントロールできる。でも飲んでいた頃の自分にかろうじてできていたことは飲み過ぎないようにと切実に願いながら飲みすぎる自分に自己嫌悪を感じて自分の心を壊していくことだけだった。
酒を止めて得られたもの 自分の心の落ち着き・家庭の平和・リラックスした楽しみ。
せっかく酒を止めてもらったのにパチンコ依存にはまってまたもや「生きることがどうにもならなくなった」とは、自分のビョーキの根は相当深いんだなぁ。
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