2008年8月30日土曜日

休職中のこと その2

 この休職中に私は大きな体験をさせてもらった。自分の人生にとって、恐らく非常に大切な経験だったと思う。それは、「中間施設」というところに通わせてもらえたこと。
 休職して家の中のお掃除などが終ったところで、さて次は何をしようか・・・と考えていたとき、まず最初は何か資格を取る勉強でもしようか・・・と考えて通信教育関係の資料を集めた。社会福祉士、介護士、行政書士、などなど・・・でも自分の中の問題に気付いていなかった時だったので、どうしても動機がマイナス思考にはまりがちになっていた。
 そんな時にホームグループの先行く仲間から「中間施設に行ってみたらどうか」という提案を受けた。最初は自分のプライドが拒絶反応を示した、「そんな行政の生活保護を受けているやつらと一緒にミーティングしたってなんになるんだ・・・」と。
 だが、ちょっと考え直した。「そういう自分は何者なんだよ」結局アル中で仕事の中で生きづらくなって休職している状態じゃない。
 先行く仲間から、スリップした仲間にとっては中間施設で徹底的に最初からプログラムをやることが一番の早道なものなんだ・・・と。
 とにかく職場の人間関係での恨みや怒りで狂って苦しんでいた私は、とにかく先行く仲間の提案に従って見ることにした。

 初日の面接で所長からずばりと言われたのは、「ソーバーの長さに対して決定的にミーティングの参加量が少ない」ということ。これはその通りだった。そして自分の問題(借金のこと、職場のことなど)を話した。「まぁ今日から通ってとにかくやってごらん」ということだった。

 ミーティングでは自分なりの内面を吐き出し続けた。最初の内は職場の人間関係での問題と自分の借金の問題でのことばかりだった。他のメンバーは生活保護を受けている仲間がほとんど。仕事も家庭もなくしている人たちばっかり・・・でも次第に、この一人一人がそれぞれに人生で輝いていた時期もあり、それが酒での問題から転落してきた結果、何もかもなくしてしまったけれども、そこから這い上がっていくんだという意気込みの強さを感じるようになった。私にはこういう意気込みは欠けていた。甘かった。アルコールを嘗めていたし、アルコールが脳にもたらした被害についても甘かったことを思い知らされた。そして彼らから見れば、妻も仕事もありながらどうしようもないことをして借金だらけになっている私はかなり重傷者であると思われていることもわかった。

 自分は軽症だと思っていたけれども、それは単にたまたま運がよく、仕事での融通が利いていたからであって、実際には25・6で底をついていた重症なアルコール依存症だった。
 考え方のゆがみも彼らと私とでほとんど違いは無かった。

 私の運のよさは、A)妻が健康な心の持ち主だったこと B)長男が重度の知的障害児だったこと C)仕事での融通が利いて自由だったから自分なりの努力でどうにかごまかしが利いていたこと。
 そして決定的には私がアルコールを手放してから次男を授かったこと。

 ミーティングで自分のことをはき続けているうちに、自分の内面に変化がおきていった。その1でも書いたように、自分の問題の根源が見えてきたということ、そしてその問題に対するアプローチが決定的に間違っていたことを認識したことだ。

 中間施設のルールは厳しいものでもあるが、自分にとっては楽しいものでもある。どの仲間の話もすべて自分の問題と重なってくるし、自分の話を受け止めてくれている。「なるほど、このプログラムを徹底的にやっていけば、どんな重症なアルコール依存症者でも回復できる」と確信しできた。もちろんドロップアウトもある。しかし別名「アル中の最後の砦」と呼ばれているこの施設はドロップアウトするということは=再飲酒、死に至る道に戻るということでもある。

 この病気を抱えて生き続けるということは、いつも死への道と隣り合わせであるということを忘れないでミーティングに通い続けるということをおいて他にはない。「酒を飲めば死ぬ」「死にたくなければ飲まないこと」「しかし『忘れる』病気」。特にちょっと成功したり大きな衝撃を受けたりすると大きく揺さぶられる。自分の状態を毎日チェックしてプログラムを繰り返し繰り返しやり続けること。他には何もない。

 「自分たちはノーマルな人たちと比べて考え方も価値観も歪みやすい」ということを常に心の中でしっかりとつかみながら生きなければならない。こう書くととてもつらい厳しい人生のようだが、それほどのものでもない。なぜなら私たちには「仲間」がいる。AAの仲間ほど素晴らしいものは無い。そこには本当の平等と民主主義がある。プログラムから外れていけば死ぬけれどもプログラムにしたがっていけば天寿をまっとうできる。

 自分に与えられたもの、この人生をどのように生きるか、それは私たちがプログラムに沿って生きることによって実際に生きて示すしかない。

 神様、私におあたえください。
 私に変えられないものを受け入れる落ち着きを
 変えられるものを変えていく勇気を
 そして二つのものを見分ける賢さを
 私の意志ではなく、あなたの意志が行われますように。

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