2008年8月24日日曜日

結果として自分に起きたこと

 2005年の兄の脳内出血での意識不明、そして実家の後始末という出来事の後、自分はどうなったのか・・・。この出来事で奔走している間、私は自助Gから離れてしまっていた。家での仕事もあり、「時間が無い」と自分に言い訳をしていた。
 しかし、自分がソブラエティを維持すること以上に大切なことはあるのだろうか。私もアルコールにつかまった体と心を抱えているのだ。いつおかしい方向に行っても不思議ではない体と心なのに、そのことを忘れていた。ただ兄や母に対する怒りや恨み、でもそれは感じてはいけない感情だと抑え込み自分を抑圧していた。「ありのままの自分」を正直に認めるというソブラエティを維持するために必要な最低限のことができなくなっていた。

 特に奔走している間は何も考えずに動き回っていればよかったのだが、兄の容態や母の生活がある程度落ち着いてきたあたりから心の奥底から湧き出てくる感情を自分で抑圧してしまっていた。
 
 普通に考えてみれば、例えば自分が大腸癌で手術して治って、その後の経過を観察している状態にある人が、兄が脳腫瘍になったからと言って怒りを感じるだろうか?まぁ百歩譲って生活習慣病で自分が食事制限をしていて、兄が同病であることがわかっていながら同じように食事制限をしていないからといって怒るのか?
 
 アルコール依存症というのはとてもやっかいな病気で、まず罹患していても自分が「依存症」であるということを素直に認めるものではない。自分の場合も認めるまでには相当な時間がかかったことを思えば、兄の場合も私以上にプライドが高い人間なのだからそう簡単に認めるわけは無いではないか。

 怒っていたのだから素直に怒ればよかった。自助Gのミーティングで怒りを吐き出して吐き出しながら受け入れていけばよかったのだろう。だが私はそうしなかった。自分の怒りを抑圧して表面に出さないように蓋をしようともがいているうちに自分自身の精神状態を悪化させ、自分の病気を買い物依存などにスライドさせ、借金を必要以上に増やして結果としてイライラを募らせて自己崩壊に向けて進んでしまった。2007年の11月に私はバーボンを一口飲んでしまった。幸い「酔った」という心地よさを感じることも無く、連続飲酒にはまることもなく済んだのだが、これも私にとっては大きなダメージだった。
 
 「自分がスリップした」という事実を受け入れることはできたが、このときはなぜそうなったのかという原因の本質まで掘り下げることはできなかった。
 ただ仕事のストレスが大きすぎるという表面的な部分の受け止めだった。確かに仕事のストレスもあるが、でも2005年まではそれをこなしてきたのだから、どうにも納得できない。そこで自分は自分を追い込んだ「相手」を探して決め付けてしまった。

 結局は4ヶ月の休職、職場にも大きな迷惑をかけてしまった。

 でもこの4ヶ月、私は1からやり直すという作業で先行く仲間から紹介された中間施設に毎日通ってきた。そこでのミーティング漬けの中でここまでたどり着くことができた。
 私はもう自分のこの新たに手に入れたソブラエティを手放したくない。兄や母がどうなろうとも、自分にとっては「そのときの自分にできること」だけに集中することが一番大事だと痛感した。背伸びをしても無理、むしろ結果は悪くなるということだ。

 だからこそ、今日一日に集中、自分自身に集中、今目の前のことに集中、これだけを大切にしていくこと。それに尽きるのだと悟ったのだった。

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