2008年12月14日日曜日

無理な仕事だった

 退職の日を一日憂鬱に過ごした。特に連絡もなかったので予定通り処理されたのだと思う。

 思えば無理のし通しだった。
 学童クラブの移転問題から始まり、父母と指導員の共同運営から理事会による運営に移行するまでの体制作りを整えるまでに5年がかかった。その間障害児施設の移転があった。そして職員の休職によって精神的負担は増えていった。二つの性格の異なる施設の所長を兼任し、指導員としての責務も兼任し、労務管理、対行政手続の作成及び提出責任者を兼任し、様々な対外的活動での職場代表も兼任し、NPO法人の管理運営実務も兼任していた。
 
 普通の人でも精神を病むような責任だったろう・・・でも普通の人はこんな無茶な兼任は絶対しないだろう。できなくて当たり前なのだから。

 私は壊れた。かなり深いところまで壊れてしまった。この壊れた心は回復できるのだろうか?
 この点も疑問符だらけだ。自分はもう元に戻れないんじゃないかと思う。

 破壊したのが食堂の家具だったにせよ自分の精神であったにせよ・・・自分の精神が健全だとはとても主張できない・・・。その通り。私は狂気の中にいた。今もまだ狂気は健在なのだ。

 

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